仏教用語『食堂』の意味
『食堂』(しょくどう)
仏教では「じきどう」と読む。
寺院において修行する僧侶たちの食事をおこなうお堂であった。
お堂ゆえに本尊を安置することもある。明治以降、いっぱんに「しょくどう」と読ませるのが日常化され、比較的安価に食事を提供する店を大衆食堂といわれた。
仏教用語『食堂』と時事をまじえた法雅のひとりごと
バラエティ番組のグルメコーナーにもの申す
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
法雅はゆっくり座ってテレビを見るのは食事の時ぐらいです。
ニュースをよく見ますが、お昼の情報番組や夜のバラエティー番組も見ます。
それも食事中だけですので、じっと数時間見ることはありません。
基本あとの時間はブログにさくようにしています。
瞬間のリアクションや短いコメント重視の番組づくり
最近のバラエティ番組は、瞬間のリアクションや短いコメントに重点をおいていることがよく分かります。
それができない出演者はレギュラーになれないほど重要視されていると感じます。
それが視聴率につながるのかは分かりませんが、最近のバラエティ番組に出る人みんな声がおおきいことが共通点ではないでしょうか。
たいがい法雅はノリはよいほうなので、番組を見ながら笑います。
しかし、ふと一歩引いたときに、これでいいのかなと疑問に思う内容があります。
さすがに食事でこのマナーではいかがなものか
それがグルメコーナーです。
それが高級店であろうが、どこであろうが食べた瞬間に「うおー!これはうまい!」などと声を張っています。
食べる場面でも瞬間のリアクションと短いコメントにこだわる番組づくりをしています。
その光景を見ながら思います。
こんなこと実際にやったら周りの迷惑になり、店から追い出されるでしょうに
店の人の本音はどう思っているんだろうか
はっきり言ってしまえば、食事のマナーとしては「下の下」です。
まして食べた瞬間に予想金額をだすなどは「論外」です。
せめて番組終了間際にでも「これは番組の演出なので、実際にはマナーをまもって食事を楽しんでください」くらい流せないものだろうか。
こんなことを言い出したら法雅は堅物おやじに思われるでしょうが、1度立ちかえって食事をする原点を知ることも必要なのではと思います。
食べる場所のことを「食堂」といいますが、じつはこの言葉、仏教由来のとても深い意味のある言葉だったのです。
生活のなかに生きる仏教用語『食堂』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『食堂』です。
「食堂」という言葉は仏教からきています。
もとは「じきどう」と読みました。
寺院において修行する僧侶たちの食事をおこなうお堂でした。
お堂ゆえに本尊を安置することもありました。
明治以降、いっぱんに「しょくどう」と読ませるのが日常化され、比較的安価に食事を提供する店を大衆食堂といいます。
仏教は生活そのものが修行であり、食事は命をいただく場にほかならないので、本尊を安置したお堂、「食堂」(じきどう)でいただいたのです。
そして食堂での食事は決められた作法で食べることになっています。
古くはインドや中国においても、その考え方は同じです。
食事の前には合掌して「いただきます」をいいましょう
私たち人間は、毎度毎度の食事のたび、ほかのものの命を奪うことで生存しています。
動物も植物もみんな命があって、その命をいただく機会が食事です。
せめて食べる前には、必ず合掌して「いただきます」をいいましょう。
それが『あなたの命をいただいて、私の命を長らえさせていただきます。感謝します』の意味です。