仏教用語『発心』どんなベテランも名人も、発心からスタートし経験を積むもの

仏教用語『発心』の意味

『発心』

菩提心(ぼだいしん・仏の悟りを求める心)を起こすこと。
決意することは仏道修行の第一歩ゆえ、出家して仏門に入る意味ももつ。

現在では、あることをしようと思い立つことの意味でつかわれている。

仏教用語『発心』と時事をまじえた法雅のひとりごと

出家してから30年経って思うこと

「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。

法雅は高校1年生の時、いまは亡き師匠のもとで出家(初発心)しました。

師匠は僧侶としての勉強のみならず、挨拶や掃除の仕方、礼儀作法、檀家さんとの接し方など、僧侶として必要なことすべてを教えてくださいました。

初めは言われたとおりにやってみる、マネをしてみる程度でしたが、これを何年も何年も積み重ねるようになると完全に自分のものになって、自然とできるようになります。

出家してから30年が経ち、いまではブログで仏教用語を書くようになり、皆さんに読んでいただけるようになりました。

ありがとうございます。

すごく当然のことを言うようですが、僧侶を続けると、ちゃんと僧侶になります。

出家した当初は、ちゃんと僧侶になれるか不安ですが「続けていけば」ちゃんと僧侶になれます。
自然に僧侶としての振るまいや対応ができるようになり、それなりに貫禄もつくようになります。

やはり、続けていけば経験を積むんですねぇ。

このことは、どの職業でも同じはずです。

初めて足場組みを経験してわかったこと

最近、お寺で工事をしました。
工事の内容は、合葬墓の新設と屋根のペンキ塗りです。

メイン工事の合葬墓は業者にお願いして、屋根のペンキ塗りは費用を浮かすため、その業者から足場を借りて私と檀家さんとで塗ることにしました。

そこでお寺のまわりに足場を組むため、トラックに足場を積んで運んだり、足場を組み上げたりしました。

もちろん法雅は足場の知識と経験もないため、もと建設業の老齢な檀家さんの指導のもとでの作業です。

最初は法雅のほうが(少し)若いから作業が早いだろうと思っていましたが、実際はちがいます。
老齢な檀家さんのほうが作業のスピードが早く、動きに無駄がないのです。

たとえば踏み板の運び方ひとつとっても、楽に2枚運ぶ方法があり、法雅は老齢な檀家さんのマネをして運びました。

こうして徐々に足場が組まれていき、点が線になり、やがて面になっていき建物全体を覆いました。

なるほどと感心しました。

このように、その道を長く続けている人は経験が豊かで、体と思考が自然に身についているものだと思いました。

どんなベテランも、名人といわれる人にも始まりがあり、始めた時はなにも分からないけど、腰を据えて数年経つと徐々にできるようになっていきます。

つまり、最初の発心が大事なのです。

ところで、発心という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。

生活のなかに生きる仏教用語『発心』

そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。

今回は『発心』です。
「発心」という言葉は仏教からきています。
菩提心(ぼだいしん・仏の悟りを求める心)を起こすことです。
決意することは仏道修行の第一歩ゆえ、出家して仏門に入る意味ももっています。

現在では、あることをしようと思い立つことの意味でつかわれています。

仏教用語の発心は「発菩提心(ほつぼだいしん)」の略で、菩提心を発(おこ)すことです。

菩提(ぼだい)は、サンスクリット語ボーディの音訳で「悟り」を意味します。
つまり仏道修行者が、出家したりして修行を始めるときに「悟りを得るまで修行する」ことを決意する。それが発心です。

まさに発心は、菩薩の修行の第一歩とされています。

どんなベテランも名人も、発心からスタートし経験を積むもの

現在つかわれる発心は、物事を始めようと思い立つことです。

仏教用語と同様、なにかを始めるタイミングで発心を使うのは、今も昔も同じようです。

よく「初心忘るべからず」というように、発心した時の決意や気持ちを持ち続けることは大事です。

法雅も僧侶歴30年といっても、僧侶の世界ではまだ中堅。上には上がいます。

この記事をもって仏教用語100語を一旦締めくくり、これからまた勉強をして後日再開したいと思います。
法雅も「初心忘るべからず」で精進しますので、今後ともよろしくお願いします。

拙い仏教用語のコーナーにお付き合いいただき、ありがとうございました。

仏教用語発心アイキャッチ画像
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