仏教用語『境界』の意味
『境界』
仏教では「きょうがい」と読む。
おもに自らの行ないの果報として、各自が受ける境遇のことをいう。
人間のおかれる境遇は同じではなく、その原因は自らの行ないだと仏教では説く。つまり境界(境遇)は同じではなく差別があることに、現在つかわれる境(さかい)や区域という意味の境界になったとすれば興味深い。
仏教用語『境界』と時事をまじえた法雅のひとりごと
函館名物グルメ、イカ刺しとイカの丸焼きの思い出
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
法雅が6年前に北海道へ移住した当時、たまに居酒屋に行ったり食事をした時は函館のスルメイカをよく食べました。
おすすめはイカ刺しとイカの丸焼きです。
いずれもコリコリとした歯ごたえと肉厚の食感がたまらなくおいしく、函館の名物・イカを満喫していました。
函館のイカはおいしかったのですが。
それからすぐに、函館のイカの漁獲量が減少していることをニュースで知りました。
すると年々、イカ料理の値段が高くなり、ついにイカ料理がメニューから消えてしまいました。
(一部店舗では現在もイカ料理を提供しています)
この現象はイカだけに限りません。
さんまやサケといった北海道を代表する魚が年々獲れなくなっていったのです。
温暖化により海中の境界が激変した日本の海
実際、どれくらい北海道の漁獲量に変化があるのでしょうか。
最新の漁獲量がわかる令和元年(2019)のデータと、そこから10年前の平成22年(2010)のデータと比較してみました。
(出典:『北海道ホームページ』水産林務部「北海道水産現勢」)
いか
2010年87,633トン→2019年11,703トン(-87%)2020年の速報値7,210トン
さんま
2010年85,784トン→2019年23,120トン(-73%)2020年の速報値11,700トン
さけ
2010年135,046トン→2019年51,380トン(-62%)2020年の速報値51,000トン
10年前と比べるといずれも激減してます!
その一方、漁獲量が急増している魚があります。
ブリ
2010年2169トン→2019年10,873トン(+501%)2020年の速報値15,500トン
いわし
2010年45,133トン→2019年202,749トン(+449%)2020年の速報値235,000トン
ブリや、いわしはもともと北海道でも獲れる魚でしたが、近年の急増ぶりはただごとではありません。
とくに、ぶりは北海道民の認知度が低く、スーパーで売られていてもどのように料理をしていいかわからないとの声が聞かれます。
そこで函館市では、せっかく獲れるぶりを活用しようとぶりの調理法などを積極的に伝えはじめました。
法雅は、刺身かぶり大根が好きです。
これも温暖化の影響でしょうか。
ふだん私たちが見えない海の中では、住む魚の境界が大きく変化しているのです。
それによって、そこに住む人たちの食生活までも変化が起きています。
ところで、境界という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『境界』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『境界』です。
「境界」という言葉は仏教からきています。
仏教では「きょうがい」と読みます。
おもに自らの行ないの果報として、各自が受ける境遇のことをいいます。
人間のおかれる境遇は同じではなく、その原因は自らの行ないだと仏教では説きます。
つまり境界(境遇)は同じではなく差別があることに、現在つかわれる境(さかい)や区域という意味の境界になったとすれば興味深いものがあります。
私たちの身のまわりで小さい境界といえば家があげられます。
それぞれの家には所有権があり、その範囲内であれば自由が保障されています。
同時に隣の家との大きさを比較したり、生活水準の差を感じたりしますが、これらは今までの行ないの結果なので致し方ありません。
また大きな境界といえば国境があげられます。
国境ひとつ越えただけで、政治体制や経済事情もまったくちがいます。
これらは国がある地域の特性のみならず、その国が歩んだ歴史にも大きな要因があります。
このように現在の境界のほとんどは、人間が自分の都合で線引きしたものが多く、ある意味、人間の歴史や営みの結果といえましょう。
人間たちの行ないの結果、魚たちの境界に大きな変化あり
地球温暖化が叫ばれて久しいですが、その終息のめどはまったく立っていないといえます。
その間、わずか10年でも魚の漁獲量に大きな変化が起きているように、海の中の変化、魚たちが住む境界が大きく変化しています。
地球温暖化は私たち人間の営みの結果であり、人間の責任です。
地球の生命は海から誕生したとされます。
その母なる海の大きな変化は、やがて地球上の生命の境遇(境界)に大きな影響を与える。
それが仏教が説く原因と結果です。(合掌)