仏教用語『舎利』お寿司のシャリとお墓参りの意外な関係性

仏教用語『舎利』の意味

『舎利』(しゃり)

古代インド文字(サンスクリット)のシャリーラの音訳。
意味は仏様の遺骨のこと。

仏様の遺骨の尊さ、白さが白米に例えられるようになったと思われる。

仏教用語『舎利』と時事をまじえた法雅のひとりごと

お寿司、2000年間の革新の歴史

「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。

今回はお寿司のことから書いていきたいと思います。

日本の食文化として、今や世界でも食べられるようになったお寿司。
そのルーツは紀元前の東南アジアで稲作とともに成立した魚の保存食(なれずしに近い食べ物)といわれています。

弥生時代から室町時代

日本には稲作の到来とともに伝わったとされ、718年の『養老令』に、「すし」の記述がありこれが日本最古の文献とされています。

ずいぶん昔からお寿司はあったんですね。

ただ、このころの寿司は魚だけを食べてご飯は捨てていました。
貴重だったご飯を捨てることに抵抗があった室町時代の人は、発酵期間を従来よりも短くして魚もご飯も食べられるように変化させます。

この室町時代に食文化そのものが大いに発展し、ご飯の炊き方から醤油の出現など現代のお寿司の基礎ができました。

江戸時代に江戸前寿司が完成。そして現代へ

そして江戸時代にはいり、お酢をつかう方法が確立され、さらに手軽にお寿司が食べられるようになります。
とくに新興地・江戸では町民の気性が関係してか、より素早くご飯とお酢をまぜ、江戸湾の魚や貝をそのままのせた、いわゆる「江戸前寿司」が完成しました。

このようにお寿司2,000年の歴史は、魚の保存期間をいかに短くしていって手軽に食べることができるかの模索の歴史であり、とくに日本では独自の革新をしていったことがわかります。

現在では回転寿司がすっかり定着し、江戸時代の人からみても驚きの革新をみせています。

法雅が小学生の時、はじめて回転寿司に行ったときはその斬新さに驚きました。

ところで、お寿司といえばシャリ、いわゆるご飯ですが江戸時代の文献のなかにもあるように、当時からお寿司のご飯のことを「シャリ」と言っていました。

粋(いき)を重んじる当時の職人が「コメ」と呼ばず、「シャリ」と呼んでいたとすれば納得できますね。

さて、このシャリ。じつは仏教由来の言葉なのはあまり知られていません。

生活のなかに生きる仏教用語『舎利』

そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『舎利』です。

「舎利」という言葉は仏教からきています。
もとは古代インド文字(サンスクリット)の「シャリーラ」の音訳です。
意味は仏様の遺骨です。

それが現在では「銀シャリ」などといわれ白米の意味で使われています。
おそらく仏様の遺骨の尊さ、白さが白米に例えられるようになったと言われています。

お釈迦様のご遺体は、遺言により香木を組んで火葬されました。
そのお骨を八部族の弟子たちに分けられたことで「舎利八分」と言われています。

そのなかの1つが1898年にイギリス人ウイリアム・ペッペによって発掘されたことでお釈迦様の実在が証明されました。

お寿司のシャリとお墓参りの意外な関係性

お釈迦様が亡くなられた当初は、仏像をつくることが許されなかったため、当時の信仰の対象が遺骨(仏舎利)になっていったことは自然といえましょう。
仏舎利を崇拝するための舎利塔などが建立されることになり舎利信仰が盛んになっていきました。

ちなみに現在の塔婆(とうば)のルーツは舎利塔といわれています。

このように故人のお骨にお参りする現在のお墓参りのルーツが、数千年前のお釈迦様が亡くなられた時からはじまったと知ったとき、お寿司のシャリとお墓参りの意外な関係性がみえてきます。

今回は舎利の話しをしました。

「シャリは仏の遺骨」これを寿司屋で思い出さないほうが賢明です。

寿司職人がシャリと生きもの(ネタ)を一体化して客に提供する。
客は「シャリがうまい」という。

なんとも滑稽に聞こえますので忘れましょう。

舎利アイキャッチ画像
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