仏教用語『微妙』の意味
『微妙』
仏教では「みみょう」と読む。
仏法とそれを悟る智慧は言葉では言い尽くせないほど奥深いことをあらわす。現在の微妙の使われ方は、美しさや味わいが何ともいえずすぐれているさまの意味で使うよりも、何とも表現しようのないさま。
こうと断定できないさまで使われることが多い。
仏教用語『微妙』と時事をまじえた法雅のひとりごと
昨日「眞子様、小室圭さんと年内結婚へ」との報道が伝わる
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
「眞子様、小室圭さんと年内結婚へ」。9月1日の朝、このニュースが全国を駆け抜けました。
婚約内定から4年。やっと落ち着くんですね。
最初にこの一報を聞いたときの感想です。そして次にこう思いました。
この4年間の逆境のなか、お二人の愛は変わらなかった。大したものだ。
思えば、お二人が婚約内定の会見を開いたのは平成29年9月3日。お互いを「太陽」と「月」に例えての会見に「さすが皇室。品が良い」と思いました。
ところが、そこから事態は急転します。
小室圭さんの母親と、母親の元婚約者の男性をめぐる「金銭トラブル」が報道されたのです。
当初、小室さん側からなんのコメントもなかったので、報道は一気に加熱。祝福モードが小室圭さん親子のバッシングへと変わったのです。
世の中って怖いですね。
おそらく一般人の婚約では波が立たず、芸能人の婚約であれば小波。皇室の婚約だからこそ大波になったのだと思います。
お二人の不屈の精神には賛嘆するが、その代償があまりにも…
金銭問題以降、小室圭さんはすぐに渡米。弁護士の資格をとるためロースクールに通い、このほど就職のメドがたちました。
また金銭問題も今年4月の説明文書の公表により、一定のメドがたったと受け止められました。
もしも、この4年間の計画をお二人で話し合われ、まわりを説得して進めていたとしたら、お二人の不屈の精神に讃辞を贈りたいと思います。
しかし今回の結婚は、「多くの人が納得し喜んでくれる状況」というよりも、お二人の個人的な感情を優先した結果となり、その代償はあまりにも大きいものです。
一般の結納にあたる「納采の儀」も、それどころか結婚に関連する儀式をも行わず、自治体に婚姻届を提出し、眞子様は渡米するとみられています。
さらに、眞子様が皇室を離れる際に支給される一時金も辞退されるともいわれています。
これでは、皇室はその結婚を認めていないことを世間に示していることと同じであり、駆け落ち同然の扱いはなんともいえない「微妙」な感じを受けます。
ところで、微妙という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『微妙』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『微妙』です。
「微妙」という言葉は仏教からきています。
仏教では「みみょう」と読みます。
仏法とそれを悟る智慧は言葉では言い尽くせないほど奥深いことをあらわしています。
現在の微妙の使われ方は、美しさや味わいが何ともいえずすぐれているさまの意味で使うよりも、何とも表現しようのないさまが多い。
こうと断定できないさまで使われることが多いです。
仏教用語の微妙は、お経典に数多く用いられ、その意味として仏様の悟りは人間の知識では計り知れないほど奥深く、不思議という意味です。
この意味は現在でも用いられ、何ともいえずすぐれている時に「微妙」と使われてきました。
ところが近年、はっきりした判断がつきにくい時、それも消極的な意味の時に「微妙」と使われることが多くなりました。
法雅のブログどお?
微妙。
どっちの意味なのさ。
結婚は本人同士の意志とはいえ、この扱いは微妙だと思う
昨年、眞子様の父・秋篠宮殿下の誕生日の時に、殿下はお二人の結婚を認めると述べ、こう続けました。
これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば,親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています。
出典:『宮内庁』秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)
二人の意志が固いのならば、父親としては認めざるを得ない、というふうに聞こえました。
ただし、家(皇室)としては認められないとも聞こえました。
しかし、どうでしょう。
子供は、親や家を選んで産まれてきたのではありません。
自分が好きで結婚するのだから、家としては何もしないという判断だとしたら寂しすぎますね。
まさに微妙な感じです。(合掌)