仏教用語『冥福』の意味
『冥福』(めいふく)
人の死後の幸福を祈る意味でつかわれているが、
仏教用語の冥途(めいど)は
「死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界」
と辞書にあるように、地獄にも通ずるため良い意味ではない。
仏教用語『冥福』と時事をまじえた法雅のひとりごと
慣習化された「ご冥福をお祈りいたします」
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
今回は『冥福』について書きたいと思います。
よく、著名人が亡くなったことを伝えたあと「つつしんでご冥福をお祈りいたします」とテレビでも使います。
亡くなった後でも幸せにという意味で使われていますが、冥福の「冥」はどう考えても「冥途(めいど)」からきているように思います。
この冥途という言葉の意味をよく知ってほしいと思います。
生活のなかに生きる仏教用語『冥福』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『冥福』です。
「冥福」という言葉は仏教語とはいえません。
ただし冥途(めいど)は仏教語です。
人の死後の幸福を祈る意味で後世つくられた造語が「冥福」だと思われます。
冥福の冥は冥途(めいど)だと思われます。
冥途の本来の意味は「死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界」と辞書にあるように、地獄にも通ずるため良い意味ではありません。
冥福という言葉は、宗派によっては「地獄に行っても幸せに」ととらえかねず失礼だと思われてしまいます。
中国の俗信が仏教化したのが冥途
そもそも仏教には冥途(めいど)という教えはありませんでした。
仏教が中国にわたり、中国にあった冥途思想と仏教がひとつになって冥途が仏教化したものです。
冥途は俗信(ぞくしん)の部類に入るでしょう。
たとえば後世作られたとされる十王経というお経には、亡くなった人は冥途といわれる暗黒の世界にいき、閻魔(えんま)王をはじめとした10人の王によって裁かれる内容が説かれています。
つまり、生前に良いおこないをしないと、死んだら苦しい世界(冥途)が待っているよという戒(いまし)めの意味で創作された世界といえます。
そういう意味から「冥福」という言葉が適しているかどうか、考えるきっかけになると思います。
「冥土の土産になった」の正しい使い方
ちなみに、よく高齢者が楽しい思い出をつくったあとに「冥土(めいど)の土産になった」と言いますが、意味は同じです。
本来は、生前良いおこないをしなかったけれど、最後に良いことをした。
これが地獄に旅立つ土産だ。の意味です。
今は一般的につかわれますが、あくまで自虐の意味合いが強い言葉ですので、自分でつかう程度にとどめましょう。
まちがっても「お父さん。いい冥土の土産になったね」と言ってはいけません。
このように言葉の混乱がおきる根本の原因は、死後のことは誰もわからないし、見えないから混乱が起きるのです。
じつは仏教とキリスト教といった宗教、また仏教宗派のなかでも、もっともちがいがでるのが死後の考え方です。
それくらい死後の問題はむずかしいのです。
だれも答えがわからないから、なんとなく冥福という言葉をつかってしまうものなのです。
最近目立つ「天国に旅立ちました」これっていいの?
最近テレビでつかわれるようになった言葉のなかで、とても違和感を感じるのが「天国に旅立ちました」の言葉です。
これって仏教でもない、キリスト教でもない、不思議な言葉だなと思います。
仏教には「浄土」とか「天上界」とかの言葉はありますが「天国」は聞いたことがありません。
またキリスト教でいう「天国」は自分の意思で旅立つ世界ではありません。
あくまで神の意志によるはずです。
こう思うのは法雅だけでしょうか。
冥福ではなく「お悔やみ申し上げます」がふさわしい
結局、故人に対してどういう言葉がふさわしいか考えてみましたが、亡くなって残念、悲しい、悔しいという気持ちをストレートに述べた、
- 「お悔やみ申し上げます」
- 「哀悼の意を表します」
ではないでしょうか。
これだと自分の感情を述べただけですから、誰にも指摘されないと思います。