仏教用語『言語道断』の意味
『言語道断』
「言語で説明する道が断たれた」そのくらい仏の悟りは奥が深いが本来の意味。
仏教の奥深い真理はことばで説明することができないことをいう。現在では、言葉に表せないとんでもないことの意味で使われている。
仏教用語『言語道断』と時事をまじえた法雅のひとりごと
今年も24時間テレビが放送されました。正直、法雅は…
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
今年もこの時期が来ました。24時間テレビ「愛は地球を救う」。
国内外の福祉・環境保護・災害復興の支援のための募金を集める目的で、1年に1回、この時期に24時間特別番組が放送されています。
正直、この番組は苦手です。
視聴者を感動させて募金へとつなげたい番組の意図のために、障害者がテレビに出演することに抵抗があるからです。
また40年以上つづく長寿番組ゆえ、内容もマンネリ化しており、無理して毎年やらなくてもいいのではと思ってしまうのです。
とくに、チャリティー番組なのに有名人が必ずマラソンをすることが未だに理解できません。(個人の見解です)
もちろん、募金をして困っている方たちを支援をすることは必要なことだと思っています。
「じゃあ、見なければいいじゃないの!」とお叱りをうけそうですが、妻がこの番組を毎年心待ちにしていますので法雅もなんとなく見てしまうのです。
そういう法雅ですが、『サライ』は大好きなんです。
今回の24時間テレビの最後のほうに、「有名人27人とつなぐ笑顔の神動画リレー」というコーナーがあり、ある言葉の乱用が耳につきました。
それは「奇跡」という言葉です。
24時間テレビの動画リレーで乱用されていた「奇跡」
動画リレーでは、幼少期より重い病気と闘っている11歳の少女と27人の有名人が、次々と難しいチャレンジをしながらリレーするというもの。
たとえばアイドルグループの男性は、フライングディスクを20メートル離れたポストに投げ入れることに挑戦しました。
どの有名人も何回、おそらく何十回も挑戦をして成功させていますが、動画リレーは成功したものだけを紹介しリレーしているので、たしかに「神動画リレー」になっています。
そのうち挑戦者から「奇跡を起こすよ」とか、「奇跡が起きました」などと何回も聞くうちに法雅は思いました。
それは奇跡とはいえないよ。
そもそも奇跡の意味とはなんでしょう。広辞苑には次のように載っています。
常識では考えられない神秘的な出来事。
出典:『広辞苑』
既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の徴と見なされるもの。
本来は、神様の驚異的な力や神秘的な出来事からきている言葉です。
最近では欧米でもすごいことや、たまたまうまくいった時に「ミラクル」と使うので、日常会話としてかなり定着はしています。
しかし、この神動画リレーは、成功するまで数え切れないほど失敗をするもの。決して一発勝負ではありません。
あまりの奇跡の押し売りに、見ていて抵抗を感じてしまいました。
ある種の職業病だとおもってください。
現在では奇跡という言葉は本来の意味から遠くはなれ、個人の価値観で気軽につかわれるようになりました。
もとは言葉では説明することができないほどの意味です。
仏教用語のなかに、言葉では説明することができないことを意味する言葉があります。
それが言語道断という言葉です。
生活のなかに生きる仏教用語『言語道断』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『言語道断』です。
「言語道断」という言葉は仏教からきています。
「言語で説明する道が断たれた」そのくらい仏の悟りは奥が深いが本来の意味。
仏教の奥深い真理はことばで説明することができないことをいいます。
現在では、言葉に表せないとんでもないことの意味で使われています。
仏教用語の言語道断は悟りの境地をあらわします。
悟りの境地は個人の体験なので、他人に伝えることはとても難しいものです。
また言葉は時として迷いを生み出す可能性があります。
言葉の選び方、伝え方ひとつ間違えたり、足らなかったりすると「仏の悟りとはこんなものか」と誤解を生じてしまうからです。
やはり悟りとは言葉では説明できない境地なんですね。
1年に1回の24時間テレビ。なのにいつも感じる違和感
せっかく1年に1回24時間テレビを放送して、支援が必要な方に募金を周知する良い機会なのに、こういう「感動の押し売り」みたいな内容に違和感を感じます。
「障害者はこんなに頑張っている」という放送内容だと、「見ている視聴者だって頑張って生きている。言語道断だ」と言われかねません。
仏の悟りの境地とはちがい、テレビは映像と言葉で伝えるもの。
言葉で伝えるのは難しいからこそ、番組を放送する目的を正しく伝える努力がもっと必要だと思います。(合掌)