仏教用語『歓喜』の意味
『歓喜』
仏教では「かんぎ」と読む。
経文に「歓喜踊躍(ゆやく)」とあり、仏の教えや仏の名を聞き、全身で宗教的な満足を得ること。
もちろん長い修行の果てに得る歓びである。現在では、たいそう喜ぶことをいう。
仏教用語『歓喜』と時事をまじえた法雅のひとりごと
オリンピックの東京開催が決まり、当時は大歓喜
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
7月23日の東京オリンピックの開催まで3ヶ月を切りました。
法雅は、今回の東京オリンピックの経緯をずっと見てきました。
それは10年以上前、当時の石原慎太郎都知事が東京開催への招致活動を熱心にしていた頃からです。
2013年9月、長年の招致活動が実り、「東日本大震災への復興」と銘打って東京が開催都市に選ばれました。
当時の日本は歓喜につつまれました。
「お・も・て・な・し」が流行語大賞になりましたね。
歓喜から一転。トラブルとコロナ禍に見舞われる
そこから一転、いざ準備段階に入るやいなや数々のトラブルに見舞われます。
- メイン会場の建設コストが増大し、当初の計画を白紙
- 盗用疑惑により、当初のエンブレムを白紙
- 招致をめぐる贈賄疑惑で、当時のJOC会長が辞任
- 東京の暑さ問題で、マラソン・競歩の札幌移転
- コロナ禍によりオリンピックを1年延期
- 女性蔑視とされる発言でオリンピック組織委員会会長が辞任
- 容姿侮辱問題によりオリンピック開閉開式責任者が辞任
- コロナ感染対策により、海外観光客の受け入れ断念
これほどのトラブルに見舞われてしまったのです。
これらの詳しい経緯はNHKのサイトに載っています。(NHK「東京2020オリンピック」)
あの歓喜から一転、誰もが不安に感じる大会になってしまいました。
これほどの大会の準備となるとトラブルはつきものでしょうが、コロナ禍になったのは誰もが予想しなかったことです。
ところで、歓喜という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『歓喜』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『歓喜』です。
「歓喜」という言葉は仏教からきています。仏教では「かんぎ」と読みます。
経文に「歓喜(かんぎ)踊躍(ゆやく)」とあり、仏の教えや仏の名を聞き、全身で宗教的な満足を得ることです。
もちろん長い修行の果てに得る歓びです。
現在では、たいそう喜ぶことをいいます。
仏教でいう歓喜は、長い長い修行の結果、仏から直接教えを聞いたり、自分が悟りを得ることができた時にあじわう満足感や歓びのことです。
それはまさしく一生に1度味わうかどうかの歓びです。
一方、オリンピックは4年に1度の開催であり、アスリートにとっては夢の舞台です。
仏教で得る歓びと、オリンピックに出場し、しかもメダルをとれた歓びとは簡単には比較できませんが、どの歓びも一生に1度味わうかどうかの歓びにちがいありません。
根強い「中止論」があるなか、本当にアスリートが歓喜する祭典になるのだろうか?
しかし現実は、世界中に新型コロナウイルス感染がひろまっている最中のオリンピック開催に「中止論」が根強くあります。
このコロナ禍のなか、なぜオリンピックを開催すべきなのか、誰もが納得できる明確なメッセージを発信できていません。
ここまで準備をしたのだから是が非でもやるべしという答えでは、誰も納得しないでしょう。
肝心なアスリートの皆さんの気持ちはどうでしょうか。
もしも「コロナ禍の最中の開催は申し訳ない」と思わせてしまったならば、彼らは気持ちよくスタートラインに立てるでしょうか?
3ヶ月を切った東京オリンピック。真にアスリートが歓喜する祭典にしてほしいと法雅は願っています。(合掌)