仏教用語『小僧』の意味
『小僧』
仏教では「しょうそう」と読む。
一人前の僧侶(大僧)になる前の年少の僧侶。子供の僧侶のこと。
雛僧(すうそう)ともいう。のちに「こぞう」の読み方が一般化され、世間に深くなじんだ。おもに年少の男子を軽視してつかう場合が多い。
仏教用語『小僧』と時事をまじえた法雅のひとりごと
小僧時代は、人生の基礎をつくる時代
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
法雅は高校1年生の時に、今は亡き師匠のもとで出家し小僧として修行しました。
師匠はとても厳しい方で、挨拶や掃除の仕方、お経の読み方、太鼓のたたき方などを厳しく教えてくれました。
一人前になるまでは小僧として師匠より薫陶(くんとう)をうける。
小僧時代があったからこそ、今の自分があります。
どんな人でも、いきなり大人にはなりません。
小学生と中学生という義務教育の期間があり、教育の基礎を学びます。
この基礎をしっかり学んでおかないと、その後の教育において応用がききません。
あとで自分が苦労するのです。
また、小学生のときに集団生活や人とのコミュニケーションを学ぶための礼儀や挨拶をしつけておかないと、やがて大人になって会社の人間関係に悩んだりします。
だから小僧時代は大事なのです。
コロナ禍の到来。子供たちに異変が
昨年からのコロナ禍により、人との接触をなるべくひかえるようになってから、子供たちは家にこもることが多くなっているはずです。
ただでさえ、コロナ禍の前においても、家庭用のゲーム機やスマートフォンにより家にこもりがちだったのに、コロナ禍により余計に拍車がかかったように思います。
法雅の子供時代は、土日は仲のよい数人の友達と合流してよく遊んでいました。
たまに数グループが集まり10人規模になると、公園で野球をしたりして、遊びの規模が大きくなることに達成感を感じました。
多くの友達と遊んだり、ケンカしたりするなかで、自然と人間関係やコミュニケーションを体得していった時代でした。
とても楽しい、よい時代でした。
コロナ禍の子供たちは、どうしても家にこもりがちになり、接する相手といえば家族の人がほとんどではないでしょうか。
このような環境下で、どのように人間関係やコミュニケーションを学べるのか。
そして、このまま大人になってしまったら、どういう人間になってしまうのか。
コロナ禍の子供たちの将来を、勝手に心配しているのです。
ところで、小僧という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『小僧』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『小僧』です。
「小僧」という言葉は仏教からきています。仏教では「しょうそう」と読みます。
一人前の僧侶(大僧)になる前の年少の僧侶。子供の僧侶のことです。
鳥に例えて雛(ひな)の僧侶、雛僧(すうそう)ともいいます。
のちに「こぞう」の読み方が一般化され、世間に深くなじみました。
おもに年少の男子を「おい、小僧」などと軽視してつかう場合が多いです。
どの大臣も社長も、みんな小僧を経験している
現在つかわれる「おい、小僧」という言葉。法雅はとても良くない言葉だと思います。
理由は2つです。
①世の中の偉い人はみんな小僧を経験しているから
僧侶の世界では、一宗派を統率している立場を「貫首」とか「門主」とか言いますが、その方たちだって、若い頃には小僧だったのです。
また現在の総理大臣だって、大会社の社長だって、みんな小僧時代があったのです。
世の中は小僧小僧と軽視する風潮がありますが、小僧を軽視することは未来の貫首や大臣、社長を軽視することと同じだと考えてほしいのです。
②小僧時代は人生のなかで、とても大事な時期だから
小僧時代は人生の基礎をつくる大事な時期です。
小僧時代がいかに充実したかで、人生を左右するといっても過言ではありません。
勉強だけではなく、教養や人間性を育てる機会を子供たちに与えられれば、将来必ずよい大人になり社会に還元できるはずです。
ですから小僧を軽視することなく、皆で育てる社会になってほしいと思います。
これら2つの理由から、小僧をもっと大事に育てる社会になってほしいと法雅は願っています。
あなたの目の前にいる子供さん。未来の社長かもしれませんよ。(合掌)