仏教用語『蓮華』の意味
『蓮華』(れんげ)
古代インド文字(サンスクリット)プンダリーカの漢訳。
日本の仏教伝来とともに中国からわたってきた言葉。仏教の象徴としてなくてはならない植物。
各宗派の本尊は蓮華座の上に安置される。
仏教用語『蓮華』と時事をまじえた法雅のひとりごと
うちのお寺の睡蓮が咲く時期
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
今回は蓮華について書いていきます。
ちょうどこの時期、蓮の花が咲きます。
じつは法雅のお寺には小さいながらひょうたんの形をした池があり、そこに睡蓮(すいれん)が育っています。
初代住職のころからありますので、もう30年は経っているのではないでしょうか。
不思議な植物です。
ふだん、まったくと言っていいほど手をかけていないのに、この時期になるときれいな花が咲きます。
泥のなかからきれいな花が咲く様子に、ふしぎと元気をもらえます。
たまたま見た蓮の花。まるで仏様のようです
つい先日、東京と静岡に出張したときに、たまたま蓮(はす)の池を通りかかりました。
一面、蓮の花が咲いていて驚きました。
睡蓮とちがい、蓮は長い茎をのばして花が咲いていて神秘的な感じをうけました。
仏様が立っている姿と似ているからかもしれません。
蓮はインド原産の花です。
そしてインドでは「国の花」となっています。
今回は蓮の花、蓮華(れんげ)について深掘りしていきます。
生活のなかに生きる仏教用語『蓮華』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『蓮華』です。
「蓮華」という言葉は仏教からきています。
語源は古代インド文字(サンスクリット)プンダリーカ。
それを中国で「蓮華」と漢訳し、日本の仏教伝来とともに中国からわたってきた言葉です。
蓮華は仏教の象徴としてなくてはならない植物で、各宗派の本尊は蓮華座の上に安置されるほど重要なものです。
どうして、蓮華は仏教にとって欠かせない花になったのでしょうか。
宗派によって解釈はちがいますが、蓮華の3つの徳を紹介します。
蓮華の3つの徳について
①淤泥不染(おでいふぜん)の徳
蓮は泥水のなかで育ちます。
それでいて汚れることはなく、きれいな花を咲かせます。
泥の汚れに染まらないことから「淤泥不染(おでいふぜん)の徳」と言います。
これは世の中がどんなに汚れてしまっていても、どんなにまちがった教えに染まったとしても、仏様の教えは汚れることなく、世の中に凛(りん)として咲きつづける徳をあらわしています。
②種子不失(しゅしふしつ)の徳
蓮の種は熟して水に落ちてもけっして腐(くさ)りません。
それどころか何十年経ったとしても、条件がそろえば芽を出します。
以前、新聞で2,000年も前の蓮の種が芽をだしたという記事がのっていました。
本当に不思議です。
このように蓮の種は決して種としての役割を失わないところから「種子不失(しゅしふしつ)の徳」と言います。
これは仏様の教えを聞いたり、修行したりする功徳(くどく)はけっして失わない。
たとえ来世にいっても失わないという徳をあらわしています。
③華果同時(けかどうじ)の徳
ふつうの花は、花が咲いて散ったあとに実がなります。
しかし蓮の花は、花と同時に実がなります。
花が咲いたときに実をつけているのです。
これを「華果同時(けかどうじ)の徳」といいます。
涅槃(ねはん)経に「すべての人々に仏性(ぶっしょう)あり」と説かれているように、だれでも仏道修行をおこなった瞬間に仏性、仏になる心が芽生えている徳をあらわしています。
以上の3つの徳をあらわすため、蓮華は仏教では欠かせない花になりました。
蓮の姿に、人の生き方の見本をみつけたり
お釈迦様は「蓮の姿に、人としての生き方を学びなさい」と教えました。
蓮は泥の中にさく花ですが、けっしてその場所がイヤだといいません。
泥のなかにしっかり根をはってたくましく生きつつ、時期がくれば泥に染まることなく、きれいな花を咲かせます。
そうです。
泥は私たちの住む世界を例えています。
最近は新型コロナウイルスや自然災害などで不安がうずまく世界です。
そのなかで私たちはこの世界に根を張って生活して、人生の花(幸せ)を咲かそうとしています。
今回は、蓮の姿に、人の生き方の見本をみつけたりというお話しでした。(合掌)