仏教用語『愛嬌』の意味
『愛嬌』(あいきょう)
もともとは「愛敬」と書いた。
仏様や菩薩様の柔和なお顔を愛敬相(あいぎょうそう)といい、愛され、かつ尊敬される姿という意味。
そこから女性や子供の、誰からも愛される笑顔、しぐさについて「愛嬌がある」と言われるようになった。
仏教用語『愛嬌』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
最近聞かなくなったことわざに「男は度胸・女は愛嬌」というものがあります。
その意味は、男も女もそれぞれ大切なものがある。
男の大切なものは、どんなことに対しても動じない胆力であり、女の大切なものは、どんな人にでも好まれる愛想であるということです。
法雅が若いころは「男は度胸・女は愛嬌」とよく聞いたものです。
最近は聞かなくなったのは時代が変わったからかもしれません。
女性のほうが度胸があるように見受けられますし、男性は見栄えに気をつかう人が増えているように思います。
生活のなかに生きる仏教用語『愛嬌』
そこで、生活のなかに生きる仏教のことば。今回は『愛嬌』です。
「愛嬌」という言葉は仏教からきています。
もともとは「愛敬」と書きました。
仏様や菩薩様の柔和なお顔を愛敬相(あいぎょうそう)といい、愛され、かつ尊敬される姿という意味です。
そこから女性や子供の、誰からも愛される笑顔、しぐさについて「愛嬌がある」と言われるようになりました。
由来から考えるとお釈迦様は男性なので、男子に愛嬌があるといっても間違えではないことになりますね。
ところで「男は度胸・女は愛嬌」にはつづきがあるそうです。
ご存じでしたでしょうか?
答えは「坊主にお経」です。
まさに法雅のことを言われているようでビックリしました。
お坊さんにとって大切なものは「お経を読むこと」という意味です。
たしかにお経を読まない人はお坊さんとはいえません。
それほどお経を読むことは大事なのですが、そもそもお経ってどこから来たかご存じでしょうか?
「坊主にお経」ではお経はどこから来たの?
お経のはじまりはお釈迦様が亡くなられて、弟子たちがお釈迦様の言葉を残そうと古代インド文字(梵字・サンスクリット)で書かれたのが最初です。
当時は仏の言葉を文字にするのは不敬だと考えられ、弟子から弟子へと口頭で伝えられました。
しかし伝言ゲームと同じく口頭では徐々に内容が変わってしまったため、のちに文字に残しました。
次に、当時文明が高かった中国が積極的に仏教を取り入れました。
インドから僧侶とお経典を中国にまねき、寺を建て僧侶を増やし仏教を学んでいきました。その時に古代インド文字から漢字への翻訳が進みました。
このようにとても長い年月をかけて漢字のお経典ができあがっています。
お経はお釈迦様のお言葉であり、仏様の教えです。
お坊さんがお経を読むことはとても大切なことです。
法雅のお寺でも朝と夕方、決まった時間にお経を読む「おつとめ」があります。
毎日毎日おつとめを積み重ねることがひとつの修行なのです。
法雅がかんがえる理想のお坊さんは度胸があって、愛嬌があって、お経も上手。
もし、こういうお坊さんがいたら自分の悩みを打ち明けてもいいのではないでしょうか?