仏教用語『方便』の意味
『方便』(ほうべん)
もともとは仏様が私たちを教え導く方法のひとつ。
真理に誘い入れるために仮にもうけた教えのこと。最近では相手を救う目的ではなく、自分の目的のために利用する都合の良い方法のことを「方便」と言う。
仏教用語『方便』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
昔から「嘘も方便」ということわざがあります。
これは、方便のためには、嘘をつかなければならないこともあるという意味です。けっして嘘を肯定している意味ではありません。
では方便とはどういう意味でしょうか。
生活のなかに生きる仏教用語『方便』
早速ですが、生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『方便』です。
「方便」という言葉は仏教からきています。
もともとは仏様が私たちを教え導く方法のひとつ。
真理に誘い入れるために仮にもうけた教えのことです。
本来、方便とは仏様が私たちを救う目的で仮に説いた教えのことですが、最近では相手を救う目的ではなく、自分の目的のために利用する都合の良い方法のことを「方便」と言います。
かなり意味が変わってきているように思います。
そもそもの方便の意味について「嘘も方便」の由来となった教えを紹介したいと思います。
それは法華経というお経に説かれている「三車火宅(かたく)のたとえ」です。
昔、お金持ちの長者がいました。
長者にはたくさんの子供がいました。
あるときその長者の家が火事になりました。
長者はあわてて外に飛び出しましたが、肝心な子供たちは遊びに夢中で火事に気づきません。
いくら呼びかけても反応はありません。
どうやったら子供たちに火事のことを伝え、家から逃がすことができるか長者は考えました。
思案の末、ある方法をおこなうことにしました。
長者は子供たちに呼びかけました。
「おーい!お前たちが前からほしかった羊の車・鹿の車・牛の車を用意した!すきなだけ遊びなさい」
それを聞いた子供たちは前から欲しかった車が手にはいると思い、次々と家の外に出てきて災難から助かりました。
これが「嘘も方便」のもとになるお経の話しです。
つまり子供たちのために車を用意したと言ったのは「嘘」。
実際には車は用意されてなかったのです。
子供たちは一瞬だまされたと思いましたが、長者は羊の車・鹿の車・牛の車よりももっと立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与え、その結果、子供たちは大満足しました。
これが三車火宅のたとえの内容です。
この話しには深い仏教的な意味が込められていますが、ここでは割愛します。
嘘も方便というけれど、本当は聖人しか使えない
仏様がつかう嘘は、人を貶める嘘ではなく、人を導くための嘘。
だから「嘘も方便」という言葉が成立します。
しかし、私たちが使う嘘は、ほとんどが自分を守るための嘘、人を貶めるための嘘ではないでしょうか。
高齢者を狙って電話で嘘を言う詐欺グループが後を絶ちません。
また最近は議員の先生たちは都合が悪くなると「記憶に無い」「記録に無い」という始末です。
国民は冷静にその嘘を見抜いています。
やはり「嘘も方便」が成立するのは聖人クラスだけのようです。(合掌)