仏教用語『挨拶』の意味
『挨拶』(あいさつ)
もともとは禅問答において使われた言葉。
漢字の意味は「近づいて迫る」。
それがのちに相手に近づく方法・礼儀として現代に定着している。
仏教用語『挨拶』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
法雅が今は亡き師匠のもとに弟子入りしたとき、一番最初に教えていただいたのが挨拶の仕方でした。
だれに対してもまず挨拶をすること。大きい声で挨拶をすることを徹底的に教え込まれました。
そのせいか今でも法雅は挨拶の声は大きく、先に挨拶をする癖がついています。
ほとんどの人が挨拶を返してくれますが、たまに挨拶をかえさない人もいます。
すこし心が寂しく感じますが「この人はこういう人」と思うようにしています。
今年2月に亡くなられたプロ野球解説者の野村克也さんは挨拶について次のような言葉を遺しています。
「挨拶は、人間らしく生きるための基本の心である。親に挨拶の心がないと、それは必ず子供にも表れる」
法雅もまったく同感です。法雅がきちんと挨拶するせいか、法雅のこどもたちも挨拶と礼儀はできているように思います。
やはり子供は親の背中をみて育つんですね。
生活のなかに生きる仏教用語『挨拶』
そこで、生活のなかに生きる仏教のことば。今回は『挨拶』です。
「挨拶」という言葉は仏教からきています。
もともとは禅問答において使われた言葉です。
漢字の意味は「近づいて迫る」。
それがのちに相手に近づく方法・礼儀として現代に定着しています。
自分の心を開いて、明るく「こんにちは」「お久しぶり」と相手に挨拶をすれば、コミュニケーションは取りやすくなります。
まさに挨拶は人間関係をよくする潤滑油です。
挨拶といえば人に会ったりするだけが挨拶ではありません。あと2種類かんがえられます。
会合などで上席の人が謝意の気持ちをあらわしたりするのも挨拶と言いますし、自分の身に変化が起きたときお世話になっている人のもとに行き報告することも挨拶といいます。
法雅は若いころ、お世話になっている人に報告する挨拶がとても苦手でした。
お世話になっている人は全員目上の人です。目上の人の前にでることは緊張するし、なにをしゃっべっていいのか分からないし、そういう迷いから抜け出せず一部の人と疎遠になりました。
でも今思えば、挨拶の本来の意味「近づいて迫る」。
つまり自分から近づかないと挨拶は成立しないことを今では理解でき、若いころの自分を反省しています。
明るい挨拶で心の距離をちぢめよう
NHKアナウンサーだった鈴木健二さんが挨拶について良い言葉を述べています。
「挨拶とは何か、それは『心を開いて相手に迫る』ということです」
自分の心を開いて、明るく相手に向かっていけば誰も悪い気はしないと思います。
今、新型コロナウイルス感染で不安がつづく時こそ挨拶は大事だと思います。
ソーシャルディスタンスを呼びかけ、人との距離をあけることを要請される時だからこそ、挨拶をして声をかけ、心の距離を近づけることが大事だと思います。