仏教用語『懸念』の意味
『懸念』(けねん)
もともとは一つのことに心を集中させることを意味していた。
「念」気持ちや想いを「かける」ことゆえ、執着や執念という意味もある。
現在では少し意味が弱まり、不安に思うこと、心配に思うことを意味する。
仏教用語『懸念』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
昨日から2日間の日程で世界保健機関(WHO)の年次総会が行われています。
昨日のニュースによると、総会においてアメリカと中国の対立が明らかになったと報道しています。
この件、少し掘り下げてみます。
中国の言い分はこうです。
- 新型コロナウイルスについて透明性をもってやってきた。
- アメリカなどがいう感染状況の隠蔽はない。
- 中国は国際的な感染対策で多大な貢献をしてきた。
一方、アメリカの言い分はこうです。
- 中国は新型コロナウイルスの発生を隠し対応を遅らせた。
- その結果、世界に大きな被害をもたらした。
- WHOは中国寄りであり、感染対策に必要な情報を得ることに失敗し、世界に多大な被害をもたらした。
このように米中両国の主張は真っ向から対立しています。
国内事情によるパフォーマンスという解説もあるようですが、両国の対立が政治の思惑からはなれて一人歩きしだすと「第2の冷戦」になるかもと『懸念』されています。
生活のなかに生きる仏教用語『懸念』
そこで、生活のなかに生きる仏教のことば。
今回は『懸念』です。
「懸念」という言葉は仏教からきています。
もともとは一つのことに心を集中させることを意味していました。
「念」気持ちや想いを「かける」ことですから、執着や執念という意味もあります。
本来はつよい意味をもつ「懸念」という言葉、現在では少し意味が弱まり、不安に思うこと、心配に思うことを意味します。
今までは米中が政治的にどんなに対立しようが、ある一線を越えることはないと思っていました。
それは経済のグローバル化のなか、アメリカの企業が中国の工場に製品をつくらせるという仕組みができ上がっていたからです。
つまり、どんなに対立しようがお互いに利益があったので一線を越えなかったと思います。
しかし、新型コロナウイルスによって状況は一変しました。
国どうしの交流が分断されたのです。
この状況が短期間ですめば影響は限定的でしょうが、数年つづいたとしたら、その影響は計りしれません。
果たしてこのまま第2の冷戦にむかうのか懸念されます。
32万人も死者がいるのだから、今は協調を
5月20日現在の新型コロナウイルスによる死者は世界で318,481人です。(NHKより)
現在までにこれだけの死者がいて、しかも増えつづけている今、そもそも論をしている場合ではないと思います。
それは、あたかも高熱を出している子供がいるのに、そのとなりで両親が、
「オマエが熱を出しているのに気づかなかったせいだろ」
「わたしはちゃんとやってきたわ。あなたに言われる筋合いはないわ」
と言い合っているようです。
そんな場合じゃなく、今は熱を冷ますことに全力をつくす時だろうと思うのです。
大国どうし、地球全体のことを、もっと責任をもってもらいたいと思います。