仏教用語『演説』の意味
『演説』(えんぜつ)
古代インド文字(サンスクリット)のニルデーシャの訳で、仏様の教えを人々に説くことを意味する。
今でいう布教の意味が込められていた。現在はおもに選挙時、多くの人々の前で自分の主義主張や意見を述べることをいう。
仏教用語『演説』と時事をまじえた法雅のひとりごと
7月5日は東京都知事選挙の投票日
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
現在、東京都知事選挙が行われており7月5日の投票にむけて候補者たちが自分の主張を演説をしています。
今回はコロナ禍の影響でオンラインで演説する候補者もいます。
ご存じ、東京は日本の首都であり、その知事になることは大臣数人分の影響力といわれるくらい大きいものがあります。
また昨今の新型コロナウイルス感染対策、来年に延期された東京オリンピックの開催、東京一極集中の問題など取り組むべき課題はじつに山積しています。
今回の知事選挙はほぼ結果がわかっているといいますが、せっかくの選挙権を棄権することなく投票してほしいと思います。
法雅はどの選挙も欠かさず投票しにいきます。
さて、選挙時になると「演説」という言葉はよく使われますが、じつは仏教由来の言葉だということはあまり知られていません。
生活のなかに生きる仏教用語『演説』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教のことば。
今回は『演説』です。
「演説」という言葉は仏教からきています。
もとは古代インド文字(サンスクリット)のニルデーシャの訳で、仏様の教えを人々に説くことをいいました。
今でいう布教の意味が演説には込められていました。
それが現在ではおもに選挙時に多くの人々の前で自分の主義主張や意見を述べることを演説といいます。
明治時代に「スピーチ」の和訳として演説をあてたともいわれています。
しかし、日本人はあまり演説やスピーチが上手な人が見当たらないように思いますが偏見でしょうか?
海外著名人のスピーチを集めた本やサイトはたくさんあるようです。
法雅もたまに目にしますが、今までで一番共感したスピーチは2012年・リオデジャネイロ国際会議でのムヒカ・ウルグアイ大統領のスピーチです。
有名なスピーチですのでご存じの方も多いことでしょう。
ものごとの本質をえぐるスピーチにはかなわない
いかがでしょうか。
聞く人によって受けとり方がちがうのは自然なことです。
法雅はムヒカ大統領の演説(スピーチ)を聞いて共感したところが2つありました。
1つには環境問題といえど結局は人間が原因であり、政治で解決すべき問題だという主張に共感しました。
仏教の教えのなかにも、人間と国土・自然とは切っても切れない関係だと教えています。
つまり人間のおこないによって環境も大きく左右されるのですから、今回のレジ袋有料化のように政治が環境問題に取り組むことが大事だと思います。
2つには昔から伝わる言葉「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」に共感しました。
本当に貧しい人とは、いくら物があっても心が満ち足りない人のことだという意味です。
本当にその通りだと思います。
仏教の教えのなかにも貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒といって、物を貪(むさぼ)りつづける命は、人をダメにする毒だと説かれています。
反対に「少欲知足」、今の状態で足りていることを知るという命が大事だと教えています。
ムヒカ大統領のスピーチは仏教の教えにも共通するところがあり、やはり、ものごとの本質をえぐる演説(スピーチ)は迫力があるなと感じました。
皆さんは、どう感じましたか?