仏教用語『流通』の意味
『流通』(りゅうつう)
仏教では「るづう」と読む。
経典の最後に、その法を後世に広め伝えるため弟子に与えることなどを記し、全体を結んだ部分のこと。現在では「りゅうつう」と読み、おもに貨幣や商品が移動することをいう。
仏教用語『流通』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
今回は「流通」について書いていきます。
現代、流通はもはや必要不可欠といえる世の中になりました。
24時間コンビニエンスストアが開くことで昼夜問わず商品が届けられ、宅配便やウーバーイーツは家庭に荷物や食べ物を運びます。
これらのことを可能とするために、裏でどれほどの人数がかかわっているか考えると、途方もない人数になると思います。
以前見たTEDのプレゼン
何年か前のこと、NHKの夜の番組で『スーパープレゼンテーション』という番組がありました。
毎回さまざまな分野で活躍する人たちがでて、20分ほどの話しをします。
ある時に、イギリスの科学ジャーナリストのマット・リドリーという人が出演していました。
話の内容は、人類がそれぞれ持っているアイデアを組み合わせて今の文明をつくったという、なかなか高度な内容を、マット・リドリーの巧みな話術とユーモアで、場内を沸かせながら話しをしていきます。
その最中マット・リドリーはこう問いかけました。
「たとえばここにマウスがあるとします。
このマウスを作るのに、どれくらいの人たちが関わっていると思いますか?」
法雅はとっさに「数百人かなぁ」と思いました。
皆さんはどれくらいだと思いますか?
マット・リドリーは答えました。
「およそ数百万人」と。
つづけてその理由を言いました。
「例えば、このマウスのプラスチックにしても、原材料として石油を掘らないといけない。
マット・リドリーのプレゼンより
石油を掘る人、そしてその生活を支える人も必要です。
食料を作ったり、コーヒーを作ったり。」
このように考えていくと、直接的、間接的に関わっている人はたしかに数え切れないほどに広がっていきます。
そういう無数の人たちの手をへて、このマウスが作られています。
もちろんマウスだけではありません。
世の中にあるものすべて、地球規模の巨大な流通によって成り立っているのです。
グローバル社会。
まさに世界中とつながっているんですね。
さて流通という言葉はよく聞きますが、じつは仏教由来の言葉だということを知っている人は少ないようです。
生活のなかに生きる仏教用語『流通』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『流通』です。
「流通」という言葉は仏教からきています。
仏教では「るづう」と読みました。
お経典の最後に、説いた教えを後世に広め伝えるため弟子に与えることなどを記し、全体を結んだ部分のことをいいます。
現在では「りゅうつう」と読み、おもに貨幣や商品が移動することをいいます。
お経の序分・正宗分・流通分
じつは、お経はすべて3つの構成でできています。
①序分(じょぶん)
教えに入る前の部分。
本で例えると「はじめに」の部分です。
②正宗分(しょうしゅうぶん)
教えの内容や中身。
本で例えると「本文」の部分です。
③流通分(るづうぶん)
説いた教えを後世に広め伝えることを記した部分。
本で例えると読者の手にとどけるための指示書です。
つまり、仏様の教えといっても、説いたからって自然に伝わるものではありません。
誰かが責任を持って伝える必要があります。
そこを決めた部分が「流通分(るづうぶん)」であり、これってまさに教えの流通(りゅうつう)ともいえます。
生活を支える無数の人たちに感謝
冒頭のマット・リドリーのプレゼンのように、グローバル化された現代は、数え切れない人たちのつながりによって私たちの生活が支えられています。
仏教に説かれる4つの恩の1つ「衆生(しゅじょう)の恩」を思い出しました。
衆生とは、「多くの人々」や「生きとし生けるもの」という意味です。
私たちは決して一人では生きれません。
無数の縁、つながり、そして流通によって生きております。
すべての人々に感謝して生きてまいります。