仏教用語『彼岸』の意味
『彼岸』(ひがん)
古代インド文字(サンスクリット)のパーラミーターが語源。
音訳すると波羅密(はらみつ)で漢訳すると彼岸(ひがん)となる。
此岸(娑婆世界)から彼岸(仏の世界)へ仏道修行によって渡るのが本来の意味。現在では春分・秋分の日を中日として、その前後7日間に先祖供養をおこなう行事となっている。
仏教用語『彼岸』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「暑さ寒さも彼岸まで」
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
昨日はお盆について書きましたので、バランスをとるため今回は「お彼岸」について書きます。
「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、季節の変わり目である春分の日と秋分の日を中日として前後7日間お彼岸の行事があります。
個人的に、毎年春のお彼岸が待ち遠しいです。
法雅が住む道南は北海道のなかでは雪が少ない地域とはいえ、一冬をこえてようやく本格的な春をむかえたような実感がえられるからです。
春分の日と秋分の日はそれぞれ祝日となっています。
ですが今の時代、祝日が必ず休みになる職種は限られており、せっかく先祖供養をする行事があるのにもったいないと感じます。
春分・秋分の日がお彼岸になったわけ
ではなぜ、春分・秋分の日がお彼岸になったのでしょうか。
じつは諸説あり定かではありませんが、浄土信仰が影響しているという説が有力です。
浄土信仰では亡くなったら西の極楽浄土に往生すると教えます。
すると西の反対・東が私たちの住む世界になります。
春分・秋分の日は太陽がちょうど真東にのぼり、真西にしずむ日ですから、もっとも極楽浄土と私たちの世界が通じやすい日と考えられました。
以上のことから、春分・秋分の日に先祖供養をするようになったといわれています。
ではお彼岸の本来の意味をもう少し深掘りしてみたいと思います。
生活のなかに生きる仏教用語『彼岸』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教のことば。
今回は『彼岸』です。
「彼岸」という言葉は仏教からきています。
古代インド文字(サンスクリット)のパーラミーターが語源です。
音訳すると波羅密(はらみつ)となり、漢字で訳すと彼岸・到彼岸となります。
菩薩が修行を満願させ悟りを得ること意味してますが、このことを此岸(娑婆世界)から彼岸(仏の世界)へ渡ることに例えたのです。
現在では春分・秋分の日を中日として、その前後7日間に先祖供養をおこなう行事として日本に定着しています。
インドや中国には存在しない日本独特の行事ともいわれています。
菩薩がおこなう六波羅密(六度)の修行
本来の意味から考えると、ただちに先祖供養をする日ではなく、仏になるための仏道修行を真剣におこなう意味があります。
そこで、修行完成間近の菩薩がどういう修行をするのか6つ紹介します。
- 布施…人に物を施しめぐむこと。
- 持戒…戒律をかたく守ること。
- 忍辱…もろもろの侮辱や迫害を耐え忍び恨まないこと。
- 精進…強い気持ちでひたすら修行に励むこと。
- 禅定…心を静めてひとつの対象に集中すること。
- 智慧…真理を明らかにし悟りを開くこと。
この6つの修行のことを六波羅蜜といい六度ともいいます。
6つの修行を満たせば悟りを開ける。
つまり彼岸、仏の世界にいけるとされています。
お彼岸は、子孫の私たちが修行をして先祖供養をする日
それでは彼岸は先祖供養と関係ないように思われますが、ちゃんと関係はあります。
つまり私たちの体は先祖の分身であり形見でもあります。
その分身の私たちが仏道修行にはげむことは、ご先祖が仏道修行にはげむことと同じです。
私たちと先祖の縁は切れません。
ですからお彼岸にはお寺にお参りして、お経を読んで仏道修行をして先祖供養をしましょう。