仏教用語『肉眼』の意味
『肉眼』(にくがん)
仏教では「にくげん」と読む。
ものを見る力のひとつ。肉眼は仏教ではもっとも下の能力とされている。
最高は仏眼(ぶつげん)。
仏教用語『肉眼』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
新型コロナウイルス感染の報道が連日続いています。
毎日報告される感染者数に一喜一憂している人も少なからずいると思います。
肉眼では見えないけど存在するもの
ウイルスという人間の肉眼では見えない物に不安を感じる昨今、もしウイルスが簡単に見えたならば、どんなに不安が解消されるかと思いますが現実ではそうはいきません。
世の中には見えないだけであって実際には存在しているものが実はたくさんあると思います。
私たちのまわりだけを考えてみても、相当な電波が飛んでいるはずですが見えません。
今年から5Gが始まりましたが、各携帯会社がそれぞれ4Gと5Gの電波を飛ばしています。
家の中ではWi-Fiの電波を飛ばし、テレビ局各社の電波を受信してテレビ番組を見ています。
また自然では太陽の紫外線はつねに浴びていますし、地球の磁力も存在しています。
今思いつくだけで、これだけ存在しています。
肉眼で見えないけど実際に存在するものはたくさんあることが分かります。
生活のなかに生きる仏教用語『肉眼』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『肉眼』です。
「肉眼」という言葉は仏教からきています。
もとは「にくげん」といいました。
仏教ではものを見る能力を5段階あるとし、人間肉体の肉眼はもっとも下とされています。
ちなみに最も上は仏の眼「仏眼」(ぶつげん)です。
最近は見えるものしか信じない傾向が強まっているように感じますが、実際は見えなくても存在しているものがたんさんあります。
「かんじんなことは目に見えないんだよ」(星の王子さま)
たとえば渡り鳥が毎年同じコースを飛行して渡ってきます。
まるで空にしるしがあるかのように。
また有名な話しですが、昼間に星は見ることはできませんが星はたしかに存在しています。
また人の気持ちや想いは肉眼では見えませんが、気持ちが強くなれば行動にあらわれます。
気持ちや想いはちゃんと存在するものなのです。
テストのための努力はなかなか見えません。
でも努力の結果は点数にあらわれます。
努力と結果、どっちのほうが大事かと言われれば努力だと思います。
『星の王子さま』の一節に、
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
皆さんはどのように感じますか?
法雅は肉眼だけに頼らず、心の目からものごとを正確に見ていきたいと思います。
そのために自分の心をみがいていこうと思います。