仏教用語『勝利』の意味
『勝利』(しょうり)
本来は勝(すぐ)れた利益(りやく)のことをいう。
現在は勝負の結果のみつかわれる。
仏教用語『勝利』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
新型コロナウイルス関連のニュースが毎日報道されているなか、昨日東京都がステップ3に移行したことが発表された。
これでカラオケボックスやネットカフェ、パチンコやテーマパークといった娯楽施設がほぼ解禁されたことになります。
なお接待をともなう飲食店やライブハウスは19日に再開するか最終調整をしています。
このように先日までの自粛生活から、感染対策をしながらコロナと共生する生活へと大きく舵を切ったように感じます。
たしかに活動を制限する自粛生活は長くつづけることは難しいと思いますので、感染対策をしながら活動したほうが長くつづけられるように思います。
8月の甲子園での交流試合
そんな気運のなか、個人的にはよかったと思える決定がありました。
日本高校野球連盟(高野連)は、春の選抜と夏の大会が中止になったことをうけ、8月10日から選抜大会に出場予定だった32校を甲子園に招待して交流試合をすることを決定しました。
法雅は高校時代、野球部のそばで部活をしていたことがあり、野球部員が甲子園に行くことを目標に練習にはげんでいたことをよく知っていましたので、今回の決定はとてもうれしいものでした。
全国に約4000校ある野球部。
その誰もが甲子園に行くことを目標に練習しています。
実際、全国の野球部のなかで甲子園で勝ち進んで真紅の優勝旗を持って帰りたいと本気で思っている野球部はごく一握りの実力校と常連校だけです。
ほとんどは甲子園の土を踏んでみたい。
甲子園で野球をしてみたい。
これが野球部員の目標であり、「夢」です。
その夢がわずか32校とはいえかなったことは、とてもよかったと思います。
当日は勝ち負け関係なくのびのびプレイをして甲子園を楽しんでもらいたいと思います。
もうひとつ。
勝ちにこだわらない甲子園もまた良いものだと思います。
とかく最近の時代は勝ちにこだわりすぎているように思います。
ときに、勝利は「善」ですか。敗北は「悪」ですかと言いたくなることがあります。
生活のなかに生きる仏教用語『勝利』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『勝利』です。
「勝利」という言葉は仏教からきています。
もとは勝(すぐ)れた利益(りやく)のことをいいました。
現在は勝ち負けの結果のみつかわれています。
おそらく勝(すぐ)れた利益(りやく)という意味が、勝って利するに変化したと考えられます。
たしかに勝負に勝つことで金品や名誉などの得るものがあります。
それも勝利ですが、勝つことにこだわると、いつも勝たなくてはならなくなり、心が安まることはありません。
人生の経験をいかした人が本当の勝利者
8月に甲子園で交流試合をする球児のみなさん。
試合ですので勝ち負けは決まりますが、結果は気にすることはありません。
甲子園で野球できたことが人生のなかで大きな経験ですし、その経験をいかして今後の人生を歩めたならば全員が勝利者です。
当日はのびのびとプレイをしてほしいと願っています。