仏教用語『観念』の意味
『観念』
観察し思念すること。
仏の姿や真理を間違いなく理解しようとよく見て、つねに心にかけて考えること。現在は、あきらめること。覚悟することをいう。
仏教用語『観念』と時事をまじえた法雅のひとりごと
一部地域をのぞき無観客開催となった東京オリンピック
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
「ついに無観客になってしまったか」
7月8日、2週間後にせまった東京オリンピックは一部地域をのぞき無観客開催が決まりました。
首都圏では新型コロナウイルスの感染拡大が再び増加し、とくに感染力が強いインド株がひろがっている現状を鑑みての判断だったのでしょう。
東京では7月12日から、4度目の緊急事態宣言になりました。
また札幌市・宮城県・福島県・茨城県・静岡県では観客を入れての開催を決めましたが、一転して札幌市・福島県は無観客開催を表明しました。
北海道に住む法雅は、コロナ禍の対応で苦労していた札幌市の様子を道内ニュースで見てきたので、今回の札幌市の無観客開催に納得しています。
この1年半の北海道の感染状況を見ますと、札幌市が感染拡大するタイミングはいずれも大型連休で観光客が多く来道したあとです。
そもそも札幌市は国内でも屈指の観光地です。
首都圏などからくる観光客が、道内の感染拡大の原因だと道民は思っています。
また北海道ならではの事情もあります。
北海道の政治・経済・文化の中心地は札幌市であり、道内と札幌市の行き来はかなりあります。
つまり、札幌市で感染拡大すると道内至るところで感染拡大してしまうので、札幌市の感染をいかに抑えるかが大事です。
感染を抑える理由で札幌市の無観客開催に賛成します。
無観客開催は、コロナウイルスに完敗し観念したようにも見えます
昨年3月、東京オリンピックの1年延期が決まった時、当時の安倍総理は次のようにコメントしました。
「今後、人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして完全な形で東京大会を開催するためにバッハ会長と緊密に連携していくことで一致した。日本は、開催国の責任をしっかりと果たしていきたい」
1年後のことは誰もわかりません。
まさか新型コロナウイルスがこの1年の間に変異をくり返し、現在も人類に猛威をふるっていることも、それによって前例のない無観客開催に追い込まれることも当時は誰も予想していませんでした。
人類は新型コロナウイルスに観念し、安全のため無観客開催を選択せざるを得なかったというふうにも見えます。
これで開催国としての責任は果たしたといえるのではないでしょうか。
ところで、観念という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『観念』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『観念』です。
「観念」という言葉は仏教からきています。
観察し思念すること。仏の姿や真理を間違いなく理解しようとよく見て、つねに心にかけて考えることをいいます。
現在は、あきらめること。覚悟することをいいます。
仏教用語の観念は、仏様の姿や真理(悟り)などに心を集中してよく考えることですが、その結果は迷いを去り道理を悟ることにつながります。
それが「覚悟」です。
本来、観念は道理を悟るための「原因」の意味だったのが、現在では道理を悟った「結果」の意味で使われています。
しかも、「もう観念しろ」というように、自分で悟らせる意味で使っているのが興味深いです。
東京五輪は無観客だからこそ、より選手を観念する大会になりそう
東京オリンピックは無観客開催となり、声援が少ない静かな大会になりそうです。
でも、静かだからこそ聞こえてくる音があると思います。
以前、大相撲が無観客開催した時、声援はなく静かな場所でしたが、ふだん聞こえない音が聞こえました。
それは力士同士がぶつかる音だったり、張り手の音だったりして、本当の相撲はこんな音がするんだとかえって気づかされました。
東京オリンピックは静かだからこそ、アスリートをより深く理解しようと見たり聞いたりする、より選手を「観念する」大会になるのではと思います。(合掌)