仏教用語『一味』の意味
『一味』
仏の説法は、時や場所、相手によって多様に説かれるが、説かれる内容や主旨は変わらないこと。
たとえば、無数の河があっても海に入れば同じ海水(一味)になることをあらわす。現在では、とくに悪事に味方する仲間や集団のことをいう。
仏教用語『一味』と時事をまじえた法雅のひとりごと
カブールで起きた自爆テロにより死者180人超
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
法雅はいつもニュースを欠かさず見ています。
とくにコロナ禍の今は混沌としているので、常に世の中の動きをチェックしたいと思っているからです。
朝はコーヒーを飲みながらネットニュースを流し見、昼は食事をしながら民放とNHKニュースをはしご。
夜は7時からNHKの『ニュース7』、そして就寝前に『ニュースZERO』(日本テレビ)を見ます。
一昨日の『ニュースZERO』で有働キャスターが速報を伝えました。
それが今回話題にするアフガニスタン・カブール空港での自爆テロのことでした。
速報時には、自爆テロかどうか分からないので「爆発が起こった」と伝えました。
あぁ。大混乱のアフガニスタンで爆発。いやな事件だなと思いました。
翌日、イスラム国系勢力が犯行声明を出し、自爆テロだったことがわかりました。
8月末でアフガニスタンから撤退するアメリカ軍。
その機に乗じて一気に勢力を拡大し、カブールを占拠したタリバン。
タリバンの支配を望まない市民が、アフガニスタンから退避しようとカブール空港に大挙して押しかけている最中に起きたイスラム国系勢力による自爆テロ。
これによりアメリカ軍の兵士13人、アフガニスタン人は160人を超える犠牲者が出ました。(8月28日現在)
空港が一瞬にして地獄絵図に。哀悼の意を表します。
アメリカは、すぐさまイスラム国の一味に対して報復
このイスラム国系勢力による自爆テロをうけ、バイデン大統領はすぐさま「事件を起こした者を許さず、忘れない。追い詰めて代償を支払わせる」と宣言。
いつもは柔和な大統領も、その日ばかりはとても怖い顔をしていたのが印象的でした。
そして本日(8月28日)、アメリカ軍は事件を起こしたイスラム国系勢力に対して、無人機による空爆を実施したと発表しました。
即座に報復することで、アメリカに被害をもたらす勢力は絶対に許さないとの断固たる意志を感じました。
ただし、報復の連鎖が起きなければいいのですが。
皮肉にも今回の自爆テロにより、ふたたびイスラム国が注目をされることになりました。
2014年に突如「イスラム国」の樹立を宣言し、世界を震撼させた過激派組織イスラム国。
その後はイラク軍などの反撃により崩壊したものの、いまだ世界中に支部勢力があるといわれます。
今回は、その一派(一味)が自爆テロを起こしたのです。
どんな理由があろうとも、破壊と殺戮という極めて残虐な暴力を起こすことは許されません。
こういう悪事を正当化する集団を「一味」という場合がありますが、じつは一味は仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『一味』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『一味』です。
「一味」という言葉は仏教からきています。
仏様の説法は、時や場所、相手によって多様に説かれるが、説かれる内容や主旨は変わらないことをいいます。
たとえば、無数の河があっても海に入れば同じ海水(一味)になることをあらわします。
現在では、とくに悪事に味方する仲間や集団のことをいいます。
仏様の説法は、説く人によって違うように見えたり、内容に差があるように聞こえるかもしれないけれど、じつは本質は変わらないことを「一味」と言います。
また一味は、仏様が誰人に対しても平等に接したことを明かす言葉でもあります。
今になって世界は多様性とか言ってますが、仏教の教えはもともとが性別や生まれ、身分、能力などの垣根を越え、人間の本質「命」に訴える教えなのです。
人間はみな同じ(一味)。どうして世界は区別したがるのだろうか
仏教では、人間はみな同じと説きます。
しかし、実際の世界は国や人種、民族などに分かれその違いを主張しています。
そればかりか同じ国内でも、性別や能力の差などで分けられ平等に扱われないケースがあります。
どうして世界は区別したがるのか不思議です。
人間はみな同じという仏教の思想を広く伝えて、すこしでも世の中が穏やかになることを祈るばかりです。(合掌)