仏教用語『貪欲』の意味
『貪欲』
仏教では「とんよく」と読む。
自己の欲したものを、貪(むさぼ)り求める欲望のこと。
その対象は金品・名誉・権力のみならず、愛や命などもふくまれる。
数ある煩悩のなかでも、「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚癡(ぐち)」は三毒とよばれ、もっとも根強い煩悩とされる。現在でも、自己の欲するものに執着して飽きないすがた。非常に欲のふかいことの意味でつかわれる。
仏教用語『貪欲』と時事をまじえた法雅のひとりごと
戦争の名残を感じながら育った法雅の子供時代
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
毎年8月6日には広島市で「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」が、9日には長崎市で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が執りおこなわれ、必ずニュースで流れます。
そして明日15日の終戦の日には「全国戦没者追悼式」がおこなわれます。
このように8月になると太平洋戦争のことをふり返り、2度と戦争を起こさない平和な社会をめざす。このことを国民が思い起こす一日になれば、終戦の日の意味は大きいと思います。
法雅は昭和後期生まれ。法雅が子供のころは太平洋戦争の名残はまだ残っていました。
- 両親や祖父母、親戚が戦争経験者なので、戦争の話しをよく聞いた
- 町内のおじさんが、子供たちを集めては戦争の話しをしていた(苦労話か武勇伝)
- 手ぬぐいで鉢巻きをするだけで「特攻隊」と呼ばれた
- 兵力そのものに敏感なせいか、自衛隊の地位はとても低かった
- 原子力発電所など、原子力と名のつくものに拒否感が強かった
- たびたび中国残留孤児のニュースが流れていた
- 皇室への敬意はそれほどでもなかった
- 戦闘行為は絶対に許さないという空気があった
思い出す限りあげてみましたが、こういう時代の空気感のなか法雅は育ちました。
ゆえに法雅は、戦争は絶対にやってはならないという考えです。
戦後76年が経ち、戦争の悲惨さを知らない「三代目」が増えてきた
昔からこういう諺(ことわざ)があります。
「三代目は身上を潰(つぶ)す」
これは3代目社長の時はよく会社が傾くことをいう言葉ですが、平和も同じだと思います。
戦争を経験した世代は戦争の悲惨さ経験し、二代目はその経験を聞くことによって戦争の悲惨さを知ります。
ところが三代目は戦争の悲惨さを知る機会がめっきり減るのです。
その結果、近年のSNSで「第二次世界大戦の戦争犯罪人にも良いところがあった」などと若者が書き込み、多くの「いいね」が得られたのです。
このように戦後76年が経ち、戦争から二代目・三代目の世代が中心となった現在、もっと戦争の真実を伝えることで、悲惨な戦争を抑制すべきだと思います。
なぜ、そうするべきか。
私たちは「貪欲」という命をもった人間だからです。
戦争が起きる原因は単純なものではありません。
ですが、人間がもつ貪(むさぼ)る命「貪欲」が1つの要因になっていることは間違いありません。
戦争を仕掛けるほうは、なにかメリットがあるから仕掛けるのです。
そのメリットに大義名分をつけて戦争が始まります。
誰もが貪欲の命を持っているからこそ、いつでも戦争は始まってしまうのだと考えます。
ところで、貪欲という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『貪欲』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『貪欲』です。
「貪欲」という言葉は仏教からきています。
仏教では「とんよく」と読みます。
自己の欲したものを、貪(むさぼ)り求める欲望のことです。
その対象は金品・名誉・権力のみならず、愛や命などもふくまれます。
数ある煩悩のなかでも、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)は「三毒」とよばれ、もっとも根強い煩悩です。
現在でも、自己の欲するものに執着して飽きないすがた。非常に欲のふかいことの意味でつかわれています。
終戦の日をひかえ、戦争を起こさない弛まぬ努力をしましょう
仏教用語の貪欲(とんよく)は、人間のもつ一番根っこの抜きがたい煩悩のことです。
つまり人間誰しも、貪欲な心を持っており、ややもすれば戦争に向かってしまう心も持っています。
そのことを自覚して、その貪欲をコントロールするしか方法はありません。
貪欲は消えるものではないので、戦争の悲惨さをくり返し伝えて抑制すること。それが大事です。
明日は終戦の日。苦労をしてきた先人たちに感謝したいと思います。(合掌)