仏教用語『内緒』の意味
『内緒』
もとは内証で仏教用語。
自らの心のうちで真理を悟ること。内心の悟りであり、本心の意味ももつ。そこから、内なる本心が内密という意味に変化し、表向きにせず内々にすること。内緒となり現在にいたった。
仏教用語『内緒』と時事をまじえた法雅のひとりごと
オリンピックの聖火リレーと法雅の内緒話
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
現在、10都道府県に緊急事態宣言が発令されており、6月20日まで宣言が延長される方針が伝えられています。
そんななか、全国各地でオリンピックの聖火リレーが同時進行しています。
今回は、そういう現状に鑑(かんが)み、妻以外には話していない心の内をあえて書きたいと思います。
世が世なら「非国民」といわれそうですが、現代は自由に発言できる時代。
きっと同じ意見の人もいると思い、心の内を述べます。
「果たして、聖火リレーに意味はあるのだろうか」ということです。
そこで聖火リレーについて、インターネットでいろいろ調べてみました。
すると意外なことがわかり、かえってオリンピックの知識を深める結果となりました。
オリンピック用語の豆知識
日本ではオリンピックのことを「五輪」と訳します。
これは日本独自の略語で、1936年に当時の新聞記者によって作り出された言葉です。
紙面に「オリンピック」という6文字では長く、略語の必要性が生じたからです。
そして「聖火」も日本独自の言葉です。
IOC(国際オリンピック委員会)の公式用語では、聖火は「Olympic flame」、つまり「オリンピックの炎」と訳します。
また聖火リレーは、英語では「torch relay」、つまり「たいまつリレー」というストレートな言葉です。
そして中国語では「火炬」などと呼びます。
ちなみに、東京オリンピックの公式サイトでも、聖火の記事のアドレスが「torch」となっています。
このように世界中どこにも「聖なる火」という言葉を使っていないなか、日本だけが聖火と呼んでいます。
一体誰が「聖火」と名づけたのか。
いくら調べてもわかりませんでした。ただ、1936年8月6日付の『読売新聞』では「五輪の聖火に首都再建」という見出しがあるので、かなり昔から使われていたことはたしかです。
きっと当時の人たちが、オリンピックの炎に希望を見いだし「聖火」と名づけたのかもしれませんね。
しかし残念ながら、1940年に開催予定だった東京オリンピックは開催できず「幻のオリンピック」になりました。
オリンピックの聖火リレーの意味
現在のように聖火リレーをおこない聖火台に火をともす形式になったのは、1936年のベルリンオリンピックからです。
ギリシャで採火したトーチを、3000人のリレーランナーによりベルリンまで運びました。
このリレーのアイデアは、紀元前のアテネで行われていたリレーにならったものです。
古代オリンピックが始まる前には、オリーブの小枝をもった使者がギリシャ中をまわり、戦争の中止とオリンピックが始まることを呼びかけたのが聖火リレーの原点とされています。
このように考えると、オリンピックが平和の祭典であり、リレーによりオリンピックの始まりを伝えることに意味があることも理解できます。
しかし、現在のコロナ禍により当初計画していた聖火リレーは一変しました。
密をふせぎ公道での声援はひかえるよう呼びかけられ、参加を予定していた有名人は次々と辞退。
さらに緊急事態宣言地域では公道でのリレーは取りやめられています。
本来は、オリンピックの開催を国内外に広く示すためのリレーなのに、コロナ禍のリレーに意味があるのか正直疑問を感じました。
また、ベルリンオリンピックのリレーは、結果としてナチスの政治的宣伝におおいに利用された面があり、そもそも最初から純粋にスポーツ大会の開催を示す意味でリレーがおこなわれたのか疑問です。
このような聖火リレーに対する疑問を以前からもっていたことは事実で、妻以外には内緒にしていたことです。
ところで、内緒という言葉、もとは仏教由来の言葉です。
生活のなかに生きる仏教用語『内緒』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『内緒』です。
「内緒」という言葉は仏教からきています。もとは内証と書きました。
自らの心のうちで真理を悟ること。内心の悟りであり、本心の意味ももちます。
そこから、内なる本心が内密という意味に変化し、表向きにせず内々にすること。内緒となり現在にいたりました。
仏教用語の内緒は、自分の心のなかで悟ることを意味しており、心の中で悟った内容はなかなか人に開かすものではありません。
そこで、意味がだんだん内密の要素が強くなり、現在の内緒になったものです。
聖火リレーのみならず、チャリティーマラソンも意味はあるの?
聖火リレーにつづいて、もうひとつ内緒話をします。
毎年8月に24時間テレビがおこなわれておりますが、チャリティーマラソンって毎年必要でしょうか?
チャリティー(慈善)は大事なのはわかりますが、どうしてそこにマラソンをする必要があるのか正直わかりません。
最初のランナー・間寛平さんが個人的にマラソンをしていて、そこからチャリティーのため走りたいと志願して走ったことは法雅も感動しました。
ところが毎年マラソン未経験の芸能人によって走るようになるとは思いませんでした。
なかには、サプライズ的に「今年はあなたがランナーです」と指名され、断ることもできずに走ることに、本当にチャリティーの意味がこもるのか疑問です。
そんななか、昨年のチャリティーマラソンは久しぶりに感動しました。
コロナ禍のなか高橋尚子さんが志願し、走った距離におうじて募金額を増やしていく募金ランという形でおこなわれました。
募金ランに異論があったことは承知していますが、自らが志願し、自らの体とお金をつかうことがチャリティーの基本だということに気づかされました。
高橋尚子さんのかっこよさに脱帽です。
ちなみに法雅は、マラソンが大の苦手なのは内緒です。(合掌)