仏教用語『分別』の意味
『分別』
仏教では「ふんべつ」と読む。
心が外界を思いはかること。理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること。
自分の心が、自分と他人とを比較するなどで煩悩や悩みが生じる。
仏教でいう分別は厄介者とされる。現在でも、物わかりがよい人のことを「分別(ふんべつ)がある」というが、ほとんどの場合、ゴミを捨てるときの「分別(ぶんべつ)」として使われている。
仏教用語『分別』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「違いを認めあい、尊重できる」多様性を模索する社会
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
最近の小中学校の『保健体育』教科書に「性の多様性」についての記述が載っていると知り、驚きました。
昭和の教育しか受けていない法雅はビックリです。
今までのような男女の区別だけではなく、LGBTといった性的マイノリティについて正しく理解してもらおうとする狙いがあるそうです。
近年、アメリカやヨーロッパではLGBTの社会進出への運動が積極的におこなわれており、日本も遅ればせながら一歩を踏みだしたような形です。
なぜ多様性が大事なのでしょうか?
教科書をつくる会社のひとつ『光村図書』が、「多様性の必要さ」についてわかりやすく載せていますので紹介します。
変化の激しい社会の中で,よりよい未来を築いていくためには,多様な人々と協働して生きていくことが必要です。
出典:『光村図書』ホームページ
違いを認め合い,互いを尊重し,共に生きる社会をめざすために主体的に考え,行動する力を培います。
なるほど。性別や人種、趣味や思想の壁をのりこえ協働してこそ、よりよい未来を作っていける。そういう教育を目指したい旨を理解しました。
法雅もその考えには賛同します。
コロナ禍の今、多様性よりも分別が色濃くなっている
そのためのポイントこそが「違いを認めあい、尊重できるか」。この1点につきます。
一番身近なちがい「男女」についてはどうでしょうか。
日本に於いては以前よりか女性の社会進出は進んでいるようですし、なんといっても女性アスリートの強さには目を見張るばかりです。
一方、男女が違いを認めあい、尊重できる社会かといわれれば、まだまだハードルが高そうです。
具体的な事例はひかえますが、男女は均等と呼びかけながら、男女の分別(区別)が同時並行しているシーンをあちこちで見かけます。
一番身近な男女のちがいでさえ、なかなかハードルが高いのですから、人種や思想、国家となるとさらにハードルが高くなるのが現実です。
とくにコロナ禍の今、多様性よりも分別や差別が強くなっているなと感じます。
感染対策のためとはいえ、国境は容易に越えられなくなりましたし、アメリカではアジア系の人が襲撃されるという人種差別が横行しています。
ワクチン接種が速い国と遅い国、コロナ禍の企業業績の善し悪しも極端に二極化しています。
「違いを認めあい、尊重できる」世の中を目指していたはずなのに、コロナ禍により分別や差別が色濃くなっているなと感じます。
ところで、分別という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『分別』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『分別』です。
「分別」という言葉は仏教からきています。仏教では「ふんべつ」と読みます。
心が外界を思いはかること。理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえることです。
自分の心が、自分と他人とを比較するなどで煩悩や悩みが生じます。
仏教でいう分別は厄介者とされています。
現在でも、物わかりがよい人のことを「分別(ふんべつ)がある」というが、ほとんどの場合、ゴミを捨てるときの「分別(ぶんべつ)」として使われています。
仏教用語の分別は厄介者とされているように、今も昔も自分と他人を比較して、性別の違い、肌の色の違い、体格の違い、生活の違い、貧富の違いなどなどで悩み苦しんでいたのです。
人間はそもそも比較する生きものだから、多様性をみとめる社会へのハードルが高いのです。
それでも分別を乗りこえ、多様性をみとめる社会をつくるべき
仏教では分別は厄介者とされていますが、逆に分別を無くしていくことが心の豊かさ、平和な社会への鍵ともいえましょう。
分別は皆さんの心に棲みついており、社会が不安定になったり、国の指導者の発言ひとつでトタンに大きくなる厄介者です。
コロナ禍は分別が増長(ぞうちょう)する時ですが、それでも自分の心をコントロールしていくしかありません。
よりよい社会は、性別・人種別・思想別は関係なく、全員参加でつくりあげるほかないのですから。これは21世紀の課題です。(合掌)