仏教用語『無間地獄』の意味
『無間地獄』
阿鼻(あび)地獄ともいう。
阿鼻は古代インド文字(サンスクリット)アビチが語源。
苦しみが絶え間なくつづく地獄ゆえ、無間地獄という。現在でも、労働が過酷でいつまでも終わらない時「まるで無間地獄だ」とつかう場合がある。
仏教用語『無間地獄』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「全面戦争になるのか?」ガザ空爆の映像の恐怖
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
昨日、各局のニュースは、イスラエル軍によるガザ空爆の様子を伝えました。
それと同時に流れた映像は、とてもショッキングなものでした。
市街地にミサイルが着弾したのでしょうか。夜空が明るくなるほどに炎があがっている映像や、およそ10階だての建物が倒壊していく映像が流れ、映画とはちがうリアルな映像にとても恐怖を感じました。
ニュースによると、イスラエルとパレスチナどちらも死傷者がでたということです。
一般市民が犠牲になる戦闘はすぐに中止してほしいものです。
聖地エルサレムをめぐり、こじれにこじれた歴史を歩んだ場所
ちょうど5月11日の『朝日新聞デジタル』に、「エルサレム」のことがまとめてありましたので引用します。
エルサレム
出典『朝日新聞デジタル』
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教にとっての聖地。国連は1947年、パレスチナにユダヤ国家とアラブ国家を樹立する「パレスチナ分割決議」を採択。エルサレムは国際管理下に置かれた。
49年に第1次中東戦争が終わると、休戦ラインを挟んで西エルサレムをイスラエル、旧市街を含む東エルサレムをヨルダンが獲得した。イスラエルは67年の第3次中東戦争で東エルサレムを占領し、一方的に併合。東西全てのエルサレムを「首都」と主張するが、日本を含め多くの国は認めていない。国連安保理は、占領地への入植を国際法違反と決議で指摘している。
一方、パレスチナ自治政府は東エルサレムを将来の独立国家の首都と位置づけている。
法雅が個人的におもうイスラエルとパレスチナのイメージはこうです。
世界でもっとも敏感な場所「聖地エルサレム」をめぐり、単に宗教対立のみならず、大国の思惑が入り、こじれにこじれた歴史を歩んだ場所。
ですので、つねに緊張と隣りあわせであり、ひとたび衝突が始まるとすぐにミサイルが飛んでくる場所。
こういうイメージがついています。
でも、このままではずっと争いが絶えない、無間地獄といえるのではないでしょうか。
ところで、無間地獄という言葉、もとは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『無間地獄』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『無間地獄』です。
「無間地獄」という言葉は仏教からきています。阿鼻(あび)地獄ともいいます。
阿鼻は古代インド文字(サンスクリット)アビチが語源。
苦しみが絶え間なくつづく地獄ゆえに無間地獄といいます。
現在でも、労働が過酷でいつまでも終わらない時「まるで無間地獄だ」とつかう場合があります。
このように、無間という言葉は「絶え間なく続く」という意味があるので、イスラエルとパレスチナ問題は、解決の糸口すら見えない、まさに無間の問題ともいえましょう。
また、そこに住んでいる市民は、いつミサイルが飛んでくるかわからない緊張状態にあるので、無間の苦しみを感じているのではないでしょうか。
無間地獄は、じつは私たちのすぐ近くにあります
今回はイスラエルとパレスチナ問題を取り上げました。
いつまでも苦しい状態がつづくことを「無間地獄」だとすれば、この問題はたしかに無間地獄と言えるでしょうし、じつは私たちのすぐ近くにも無間地獄があることに気づいてほしいのです。
仏教は人間の苦しみの根本を、「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」の3つであるとし、総称して「三毒」と呼びます。
- 貪は、むさぼりの命…借金で苦しい。もっと美しくなりたい。人から評価されたい。もっと愛されたいなど。
- 瞋は、怒りの命…理解してくれない人が悪い。なぜ助けてくれないのか。やられたらやり返すなど。
- 痴は、愚痴の命…自分の考えの殻が厚く、いくら真理を教えても道理が通らず正しく理解できないなど。
ほら。自分をふくめて近くにいませんか?
こういう命の状態で長い間ぬけだせないとすれば、それこそ無間地獄ではないでしょうか。
ひょっとしたら、そのことすら気づいていない人も多いことでしょう。
たまには立ち止まって、自分のことをよく見つめてみましょう。(合掌)