仏教用語『無常』の意味
『無常』(むじょう)
『涅槃経』に説かれている教え。
すべてのものは常に変化して止まることがないことをいう。
仏教用語『無常』と時事をまじえた法雅のひとりごと
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
昨日の『読売新聞』の記事を見ていましたら、「無常」という言葉が浮かびました。
地球温暖化がこのまま進むどうなる?
記事の内容は、地球温暖化がこのまま進めば今世紀末の日本にどう影響するかの予測を環境省がまとめたものです。
その具体的な予測内容に法雅は驚きました。
たとえば札幌市で行われている「さっぽろ雪まつり」では、札幌周辺の積雪が減り遠くから雪を運ぶ必要がでてくるため、雪を集める費用が2倍の1億円になると予想しています。
さいたま市では、熱中症のリスクが今より2.5倍に上がるとか、瀬戸内海では水温の上昇で養殖のわかめやノリを食べる魚がふえ食害が毎年確実におきるというような予想をしています。
このように地球温暖化がこのまま進めば、現在おこなわれているイベントや産業の存続、健康被害など計り知れない影響がでるとしています。
もちろん地球温暖化を少しでも遅らせる、また止める努力は必要だと思います。
ですが、人の営み自体が変化の連続。まさに無常だともいえます。
生活のなかに生きる仏教用語『無常』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『無常』です。
「無常」という言葉は仏教からきています。
もとは『涅槃経』に説かれている「諸行は無常なり」が出典です。
意味はすべてのものは常に変化して止(とど)まることがないことをいいます。
皆さんのなかでは『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり」で「無常」という言葉を知った人が多いと思います。
また涅槃経の「諸行無常」の教えを今様に歌い直した「いろは歌」も有名です。
「色はにほへど 散りぬるを わが世たれぞ 常ならむ」
(花は咲き誇っているがやがて散ってしまう。
人もみんな変化して長くつづかない)
この歌も無常の現実を教えています。
変化しつづける自分を受け入れることが必要なのでは
たとえば往年のアイドルが久しぶりにテレビに出演していて「うわっ。ずいぶん老けたな」と驚くこともよくあります。
当然ながら往年のアイドルも人間。
年をかさね変化をしつづけています。
そういう法雅だって年々白髪とシワをふやし変化をしつづけています。
アラフィフになると、今まで簡単にできたことができなくなり、1つのことをすれば1つ忘れます。
病気の心配もおおきくなります。
また自分の家族の環境がおおきく変わるのもアラフィフ世代です。
子育ては終わり子供たちは家庭から巣立っていきます。
また親をどうやって臨終させるかも大事なテーマになってきます。
自分の変化と家族の変化に翻弄されながら生きるのがアラフィフ世代といえましょう。
数年前フリーアナウンサーの近藤サトさんが、突然ありのままの髪の色で登場して世の中が驚きましたが、いまでは「グレイヘア」と呼ばれ認知されるようになりました。
法雅が思うに「グレイヘア」というネーミングには賛成しません。
これではわざとグレイにしている意味になります。
そうではなく、飾らないありのままの髪です。
そういう潔さがかっこいいと思います。
髪だって無常。
年を重ねるたびに変化していきます。
そういう変化を受け入れ、それに合わせた服を着たりして生活を楽しむことが良い人生につながるのではないかと考えます。
皆さんはどのように考えますか?