仏教用語『檀那』の意味
『檀那』(だんな)
古代インド文字(サンスクリット)ダーナを音訳したもの。
意味は「布(あまね)く施(ほどこ)す」ことから「布施」と訳した。つまり檀那と布施は同じ意味。
古来、仏教の修行として人々に施す「布施」は大事な修行とされた。現在では布施といえば、僧侶に対する謝礼金の意味となり、檀那といえば家庭の夫をさすことが多い。
仏教用語『檀那』と時事をまじえた法雅のひとりごと
アメリカ、世界保健機関からの脱退を正式通知
「一期一会の御縁に感謝」僧侶歴30年の現役和尚・法雅(ほうが)です。
今回は昨日のニュース「アメリカが正式に世界保健機関(WHO)から脱退することを国連事務総長に通知した」ことから書きたいと思います。
以前からトランプ大統領は脱退を示唆していたので、いよいよかという感じです。
これにより来年7月6日に脱退することが可能になります。
今回の新型コロナウイルスをめぐるWHOの対応は「中国寄り」と批判し、これが脱退の理由になりますが、個人的には世界の伝染病撲滅といった保健衛生の貢献にアメリカが関与しないことは、アメリカの品格に関わる問題だと思います。
つまり、健康的に生きるということは人間にとってもっとも大事な基礎です。
その分野にアメリカが加盟国で最大の資金を出して協力してきたことでアメリカの世界に対する貢献、そして国の品格が守られてきたように思います。
まさに、仏教的にいえば「利他」。
自分を犠牲にして他人に利益をあたえる行為に他なりません。
最近のアメリカは「利他」ではなく「自利」ファーストのようですが、これでは一時的に利益があるようでも、長い目で見れば損をすると思います。
世界のダンナ様「アメリカ」はどこに行く
とてもシンプルな考え方です。
「世界全体が良くならないと個人の幸せはこない」。
個人だけの幸せを求めても、まわりが良くならないと、いざという時に結局のみ込まれてしまいます。
大きな災難や戦争の影響は「点」ではなく「面」です。
ですから「自利」ではなく、まわりが良くなるように協力をし、努力を惜しまない「利他」の精神が大切だと思います。
今年はアメリカ大統領選挙があります。
結果次第でこのまま「自利」を突きすすむのか、すこし「利他」にもどるのか決まります。
法雅はアメリカは「善い国」だとは思っていません。
しかし、経済大国のアメリカが世界の健康に関して貢献する国であってほしいと思っています。
さて、仏教では利他のため人々に施(ほどこ)すおこないを『檀那(だんな)』といいます。
そうです。「ダンナ様」の檀那です。
この言葉、じつは仏教由来の言葉なのです。
生活のなかに生きる仏教用語『檀那』
そこで本日の生活のなかに生きる仏教用語。
今回は『檀那』です。
「檀那」という言葉は仏教からきています。
もとは古代インド文字(サンスクリット)ダーナを音訳したものです。
意味は「布(あまね)く施(ほどこ)す」ことから「布施」と訳しました。
つまり檀那と布施は同じ意味です。
古来、仏教の修行として人々に施す「布施」は大事な修行とされました。
具体的になにを施すかといえば次の3種類です。
- 財施(ざいせ)…金品をわたしてほどこすこと。
- 法施(ほうせ)…仏の教えを説いてほどこすこと。
- 無畏施(むいせ)…不安や恐怖心を取りのぞき安心をあたえること。
これらの布施のおこないをすることが、自分の煩悩(ぼんのう)を消し、善根を積むと考えられてきました。
現在では布施といえば、僧侶に対する謝礼金の意味となり、檀那といえば家庭の夫をさすことが多くなりました。
当初の意味から、ずいぶん変わりました。
令和の時代は、夫も妻も「ダンナ様」
家庭内における檀那の意味も変わりつつあると思います。
一昔前は家庭内で仕事にいって稼ぐのは男の役目。
つまり男が家庭にほどこすから、夫を「ダンナ様」といいました。
夫も妻も仕事にいく今ではどうでしょう。
正確にいえば夫も妻も「ダンナ様」です。
令和の時代、夫だけを「ダンナ」というのに違和感を感じるのは昭和生まれの法雅だけです。
お気になさらず。