大震災の余震がまだおさまらないころ、前の妻と離婚をすることになりました。
離婚をした理由は色々あります。
ですが、離婚して10年近くたって完全に落ち着いたときにふり返ると、お互い未熟だったこと。
とくに法雅が親からの大反対をおしきって若い勢いで結婚したことが、結婚してすぐに後悔をうみ、それでもすぐに子供が生まれたので子供のために夫婦生活を続けてきました。
離婚すると決めてから、お互いの生活のこと、子供の養育のことなどを何十時間もかけて話し合いました
法雅は2つのことを重点にして考え交渉しました。
1つは子供の教育のことです。
たとえ親権が母親になっても、教育については主導権を握ろうとしました。
この時子供は12歳と10歳。これから中学・高校と人生を決める大事な時期をむかえます。
もしも前の妻が子供とともに実家に帰ってしまい、なかなか子供に会えなくなるならば、より良い教育を受けることができないことは明らかでした。
前の妻の実家の環境はそういうところだったのです。
2つは檀家さんの影響を最小限にすることです。
住職が離婚するというショックを檀家さんに大きく与えないことを考えました。
この2つのことを踏まえて交渉をした結果、
- 子供の親権は母親がもつ。
- 子供の戸籍は父親に入れる。
- お寺の近くにアパートを借りて前の妻と子供が住む。
- 決まった額の養育費を法雅が支払う。
- 子供の行き来は自由。
よく、これで離婚しているのかと言われましたし、このブログを読んでいる方にすればいろんなご意見があると思います。
当時としてはこの結論が精一杯でした
檀家さんのところには、離婚の情報が耳に届く前に、法雅みずから檀家さんのお宅をまわって報告をしました。
皆さん一応に驚いていましたが、冷静に受け止めていただいたので助かりました。
良くない情報ほど、やはりスピードが大事ですね。
いらない憶測が広まる前に本人から直接情報を伝えること。
悪い報告ほど勇気がいりますが、結果としてこのほうが良いと思いました。
法雅は檀家の皆さんからかえって励まされました。
こうして離婚した法雅は、両親と3人暮らしをはじめましたが、徐々に次の問題がおきてきます。