前回は下の子供が不登校になったことを書きました。
1度不登校になってしまうと、欠席が増える→担任から連絡がいく→クラスの学生からもそういう目でみられる→学校に行きたくなくなる→欠席が増えるという負のスパイラルに陥ります。
そのうち出席日数が不足して留年したり、テストを受けなくて留年したりと、留年へのカウントダウンが始まります。
下の子供がなぜ不登校になったのかは、じつは今でも本人から聞いていません。
ですが、上の子供や担任の先生などの話を総合すると学校に対して強い疎外感を感じていたのは間違いないと思います。
こういう感情を1度もつと簡単に治るものではありません。
まだ下の子供は17歳。
いくらでも人生の軌道修正はできます。
ここは早いうちに軌道修正をしたほうが本人のためではないかと考えを変えました。
もちろん今までの学費は無駄になるので正直辛いのですが、それ以上に下の子供の人生がダメになる損失はお金にはかえられません。
このように考えがまとまり妻に大きな頼みごとをしました。
「法雅は下の子供と一緒に住んで、子供の人生を立て直したいと思っている。協力してくれませんか」と。
妻は下の子供のことを気にかけていたので快諾してくれました。
自分の子供ではない思春期の子供との生活は、妻からするときっと大変だと思いますが、このままだと人生がダメになってしまうことでは考えは同じでした。
夫婦で荷物が載せられるような車を借りて、下の子供を迎えにいく計画を立てました。
法雅と一緒に住んで人生をやり直してはどうかと下の子供に伝えました。
つい先日まで「とにかく学校に行きなさい」と言っていた法雅の変化に驚いていました。
でも早い決断でよかったと思いました。
それは下の子供から「このまま生きていて楽しいことがあるの?」と質問してきたからです。
この言葉がもつ意味は学校に行かないことから考えが悪化し、人生に対して悲観的になった証拠です。
このままだともっと良くないことが起きることは容易に想像できます。
法雅は自分の挫折の体験などを話しました。
そして「まだ若いんだから人生の軌道修正はいくらでもできる。
なにかやりたいことはないのか」と話しました。
数日後、下の子供の考えがまとまったようです。
プログラマーを目指して法雅と一緒に暮らすことに決まりました。
担任の先生と打合せをして日取りを決め、夫婦で迎えに行きました。
先に法雅は学校に行き、担任の先生にお詫びをし、学校を休学させてもらうことになりました。(のちに正式に退学しました)
つづいて子供たちが住んでいる下宿に行き、下の子供に会い荷物をまとめました。
車に布団、自転車、洋服、パソコンなどをつめこんで出発しました。
法雅のお寺に着くと3人で荷物をおろし、下の子供がプログラマーになって自立するまでの3人生活が始まりました。
法雅は下の子供がプログラマーになるのは賛成でした。
それには理由があります。
学校の授業でプログラマーになる素質が下の子供にあることを、上の子供から聞いていたからです。
素質があって本人がやりたいんだったらなお良い、どんどん伸ばしていこうと思いました。
すぐに半年間のオンラインスクールに申し込みました。
そして半年間、プログラマーになるべくパソコン漬けの日々をすごし、終わるころには簡単なアプリを作るぐらいに成長しました。
担当した先生から「今まで教えてきた人のなかで抜群です」とお墨付きをもらい下の子供も自信をつけたようです。
その後も就活用の作品づくりのためパソコンに向かっていましたが、簡単に未経験者が就職できるような甘い世界ではないこともわかってきました。
また一言にIT業界といっても幅が広く、なかにはプログラマーとは名ばかりで顧客の資料作りばかりさせられる業種があることもわかってきました。
下の子供は開発をするWebエンジニア志望なので余計ハードルが高いようです。
3ヶ月間、東京で就活も経験させました。
何十という会社に落ち自信をなくして帰ってきましたが、IT業界の現実を知ったことと思います。
法雅がこれらの現実を見て思うことは、IT業界は人材不足と言われていますが、未経験者を積極的に採用する会社は少ないことです。
つまり未経験者が自力で入ろうとする労力はとても大きく、それならば就職支援のスクールに入り、スクールで就職できるまでのスキルを上げ、スクールの後ろ盾で就職したほうが確実だし、労力と時間はかからないのではないかと思いました。
東京から帰ってきた下の子供を1ヶ月かかってじわじわ説得をし、『ポテパン』というWebエンジニア系の就職支援スクールに入らせました。
通常であれば3ヶ月でスクールが終わり、そこからスクールが就職先を探し1ヶ月で就職します。
現在、始めて1ヶ月。
この先どうなるのか。
変化があり次第、浮き沈みの記事にします。
いずれにしても、これほど下の子供とじっくり向き合ったことは、法雅の人生のなかの良い経験と思い出になるものと思います。
人生は1度挫折してもなんとかなることを証明させたいと思います。