7話 奇妙な生活。の巻

前回までは子供に対する教育と受験の話しをしてきました。
今回は子供の話しから一旦はなれて、法雅の親の話しをしてみたいと思います。

法雅が「伯母」と称する老婆の存在で、いかに奇妙な生活をしてきたか分かると思います。

法雅は高校生になって亡き師匠のもとに弟子入りするまでは、いたって普通の生活をしていました。

法雅の両親はお寺関係ではなく、父は普通のサラリーマンでした。

ただ普通と少し違うのは、両親は仏教の信仰を純粋にしていたので、行事のたびにお寺に通っていました。

法雅も小さい頃からお寺に通っていたため、御住職から顔をおぼえられ、やがて出家してみないかと声をかけていただきました。

その縁で、師匠のもとへ弟子入りするため親元を離れました。

法雅が「伯母」と称する人は、法雅が小さい頃から知っている人です。

伯母の夫は、地方銀行の役員をしていた人で、銀行退職後もいろいろな会社の顧問をしていた、いわば実業家のような人です。

資産はありましたがご夫婦の間には子供はいませんでした。

法雅の母親とは十くらい年が離れていますが、洋服の趣味やセンスがあい、母とはいつの間にか友達になっていきました。

法雅が出家して親元を離れる時、まさか、その友達が家族のようになる未来が待っているとは分かりませんでした。

法雅はひとりっ子でしたから、母は子供がいなくなった寂しさもあったことでしょう。
だんだんと伯母との距離を近くしていきました。

そして数年後、伯母の夫が転勤続きだった銀行を退職し、家を建てることになりました。
母は父を説得し、今まで住んでいた家を売って、隣どうしに家を建てるよう土地を買い家を建てました。

しかしタイミングが悪すぎました。

バブル崩壊後の不景気のなか、真面目に働いていた父の労働環境も大きく変わり、やがて住宅ローンが払えなくなり家を手放すことになりました。
両親はアパート暮らしを始めました。

すると2年後、伯母の夫は癌で他界しました。
母は老い始めた伯母を一人にすることができず、3人で暮らすことを提案しました。

こうして伯母は持ち家があるにも関わらず、両親のアパートに住み込み、なおかつ食費等すべて父が払うという奇妙な生活が始まったのです。

こんな生活がよく5年も続いたものです。
当時父は警備会社に勤めていましたが、どう考えても収入に比べて出費が多く、貯金をじょじょに切り崩す生活を続けていました。

父と伯母との関係が険悪になるのも自然のことです。

この頃、法雅は東北で住職をしていました。
悪化していく両親の生活を放っておけず、お寺の近くに住むことを提案しました。ただし、両親のみの移住が条件です。

伯母は高齢とはいえ資産があるので自力でなんとかなります。

法雅はひとりっ子ですので、やがては両親の面倒をみる必要があります。
今度は父が母を説得して法雅のお寺の近くにアパートを借りて暮らすことになりました。

さて、一見落ち着いたようにみえますが、ここからさらに二転三転して、また奇妙な生活に戻ります。

1年後、法雅が離婚しました。
先妻と子供たちがお寺の近くのアパートに暮らすと同時に、両親がお寺に入り法雅の生活を支えるようになりました。

さらに1年後。
母は八十近くなった伯母を一人にしておくことができず、法雅と父を説得して一緒に同居することになりました。

それから8年たった現在。
法雅は北海道のお寺に転勤となり妻と下の子供と3人で生活をしています。

母と伯母は法雅がいなくなったあとも東北の町に2人で暮らしています。

伯母は北海道には行きたくないと言っているため、やむなく母が付き添っているかたちです。

父は3年前に癌で他界しました。

父は最期は法雅と北海道で暮らし、法雅が最期を見届けました。
父は伯母との生活を最期まで拒みました。

今回の記事に関して、いろいろなご意見があると思います。
法雅は「伯母」とは呼んでいますが、血縁はありません。

この1人の人間によって、本来あるべき夫婦(両親)の生活が送れませんでした。
そして親子のあるべき生活ができない「奇妙な生活」が現在も続いています。
一体、どういう縁でしょうか。

今後、なにか進展があれば、法雅の浮き沈みのコーナーで御報告します。

(8話 上の子供は巣立ち、ここからが本番につづく)

法雅の浮き沈みアイキャッチ画像
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