5話 つきっきりで勉強。の巻

前回は法雅の教育の考え方を書きました。
今回は具体的にどのように勉強をさせたかを書きます。

一言でいえば、毎日法雅がつきっきりで勉強をみていました。

それは、毎日勉強をみることが可能な環境だったことと、上の子供の性格から必要だと思ったので、このような方法をとりました。

当時イクメンという言葉が出始めてましたが、教育に関してだけは法雅はイクメンだったかもしれません。

上の子供が地元の中学校の1年生になりました。
少し早いと感じるかもしれませんが、入学してすぐに中学以降の進路について検討を始めました。

以前から上の子供が建築の勉強をしたいと言っていたので、建築が勉強できる高校の情報を集めました。

そこであることを知ります。
建築系といっても道路やトンネル、橋をつくる土木も建築系だということです。
現在は学科の分類が明確になっているようです。

隣町に学力が高い生徒がいく工業高校があり有力候補にしていましたが、そこの建築科はおもに土木だと知り落胆しました。

学力が低い工業高校も考えましたが、やはりなるべく高い教育をうけさせたい気持ちがあり、捜索範囲を広げました。

さて情報集めの間にも毎日の勉強が大事です。

法雅は住職。
ということは出張がないかぎり毎日お寺にいます。

毎日つきっきりで勉強をみれる環境が整っていました。
それは大変ありがたいことです。

毎日、学校が終わればまっすぐお寺に来てもらい、大きな座卓に宿題と学習ノートを広げて勉強に取りかかります。

法雅は必要と思った問題集などをコピーして宿題のあとにやらせます。

勉強は夜になればなるほどできなくなるもの。
学校が終わってすぐに勉強にとりかかって、終わったら遊ばせるというサイクルです。

もちろん、うまくいかない時もありましたが、そういうサイクルになるよう粘り強く取り組みました。

上の子供の性格は、観察力があり頭の回転はよいのですが集中力が持続しません。
気持ちのブレが大きいように見えます。

気持ちが落ち着き集中力が持続すれば、自然に学力があがるはずなのにもったいないと思いました。

一方、下の子供の性格は正反対でとても勉強ができました。
受験の順番からしても上の子供のほうが先です。
どうしても上の子供にかかりきりになりました。

さて上の子供が中学2年生になりました。
1年かけて勉強に取り組んだ成果がでてきました。

そのころ志望校を捜索範囲をひろげて情報集めをした結果、1つの気になる工業高校が出てきました。

国立の工業高校ですが場所が遠いのが難点です。
ですが気になる学校です。

気になったら見に行く。
これが法雅のモットーです。
中学校と見学に行く工業高校に許可をとり、親子2人で2泊3日の学校見学に行くことにしました。

想像以上に良い学校でした。

国立ならではの施設の充実さ。学生の雰囲気の自由さ。学校では私たち2人のためにわざわざ教頭先生が学校の説明会をしてくださり、あちこち案内してくださいました。

とても充実した学校見学となり、上の子供も志望校として気持ちを固めたようでした。

しかし。
この学校見学がきっかけで大きなスランプに陥ったことは6話で書きます。

受験は長期にわたる戦いです。
その間右肩上がりに成績が上がっていけばいいのですが、実際はそうはいきませんでした。

でも、何ごともそうですが、しっかりとした目標を定めてから長期計画、中期計画、短期計画を立てることは大事だと思います。

志望校を定めたら、その志望校に合格するための学力を受験当日までに育てることが「長期計画」。

上の子供が中学1年生の時は「中の上」だった成績を、受験までに「上の中」まで上げることが必須でした。

その長期計画を学年ごとに分け、一学年まではこの順位。二学年まではこの順位と目標を立てるのが「中期計画」。

そして中期計画を進めるため1回1回の定期テストの目標が「短期計画」です。

法雅の私見ですが、受験とオリンピックは、とても似ていると思います。

人間は波がある生き物ですが、大事なその日にピークが来るように計画を立てる。
または常に状況をみて計画を立て直すことが必要です。

実力が伴っていないのに急に成績が上がったりはしません。

法雅はつきっきりで勉強をみながら上の子供と二人三脚で受験へと進んでいきました。

その後どうなったのでしょうか。
つづきは6話にします。

(6話 大スランプと高校受験につづく)

法雅の浮き沈みアイキャッチ画像
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