15話 父親の入院と別れ。の巻

前回は1年間かけて工事や掃除に追われた話しをしました。

工事が終わりに近づいた時の早朝、住居の廊下からゴロッと音がしました。
法雅はまだ寝てましたが、その音を聞いて何が起きたか察し飛び起きました。

父親が倒れたのです。

じつは法雅はこの音を聞くのは2回目でしたので、察することができました。
1回目は東北のお寺に住んでいたときです。

食事の後、父親が階段から足を踏みはずし倒れました。
今思えばあの時から病気が進行していたと思います。

今回も同じ音でした。
すぐに父親のもとに駈け寄り、呼びかけ意識を確認しました。

意識はしっかりしていましたが、体がけいれんを起こしています。
普通ならばすぐに救急車を呼ぶべきですが、30分だけ待つことにしました。

それは父親はこれまでどんなに体調が悪くてもけっして病院にはいかないガンコさを持っていたからです。

倒れる前からすでに兆候はでており、その間何回も「病院に診てもらってはどうですか」と聞いており、決まって「行きません」と即答。

今回ばかりはと思いましたが、「では30分待ってけいれんが止まらないようなら救急車を呼びますから」と布団に寝かせました。

30分後、症状は同じでした。
父親も今度ばかりは観念したようです。

お寺に救急車が到着。
救急隊の人から処置を受け、法雅も同乗してちかくの病院に向かいました。

すでに容態が悪かったようです。

初診で医者に告げられました。「なんでもっと早く連れてこなかったの?たぶん大腸癌。もって3ヶ月だと思う」と。

いきなり突きつけられた現実に驚きましたが、一方、父親を何年も近くで見てある程度覚悟をしていたので「来る時がきた」と冷静に受け止めた自分もいました。

検査の結果、末期の大腸癌。
すでに大腸は一部損壊し、あちこちに転移がみられるとのこと。

そして余命は3ヶ月から半年と宣告されました。

癌の完治はのぞめないため対処療法をとり、大腸が損傷しているため人工肛門の手術を受けることになりました。

法雅としては親が入院することは初めての経験でしたので、病院や役所、保険屋との手続きがこんなに大変なんだと知りました。

半月ほどたって函館市の病院に転院。
父親は人工肛門をつける手術にのぞみました。

手術は無事に終わり、人工肛門の取り扱いの練習が始まりました。

1ヶ月ほど函館市の病院にいましたが、排泄ができるだけで人間ってこんなに体調が良くなるんだということを知ることができました。

入院時ガリガリに痩せていた父親の体が、手術のあと少し体重が増え、自分で歩けるまでに体力が回復しました。

法雅はこの1ヶ月間、1日おきに函館まで見舞いに行き、だんだん体力がもどっていく父親の姿に希望をもちました。

「すこし寿命が延びるのではないか」と。

その後、函館から地元の病院に転院しました。
それから3ヶ月間は病状は現状維持のままでした。

ちょうどその頃、母と伯母が東北から見舞いに来ました。
本来は母が父親の看病をするべきなのに、それができないことに法雅は内心複雑な感情をもちました。

これが夫婦にとって最期の別れとなりました。

ある時から、急に容態が悪くなりました。
痛み止めの薬がどんどん強くなり、見舞いに行っても反応がない時もありました。

「あぁ。いよいよ近いな」とさすがに思いました。

法雅はもしもの時にそなえて葬儀の準備を万全にしていました。
あとはその日が来るのを待つだけです。

夜中、病院から電話がかかってきました。
「容態が悪くなったので急いで来てほしい」とのこと、妻と一緒に急いで病院にいきました。

が。残念ながら最期を看取ることができませんでした。

法雅は悔しくて泣きました。

「お父さん。ごめんなさい。1人で行かしてしまって」

でも、父親の顔はとてもおだやかでした。
父親は人の悪口をいわない仏様のような性格の人でした。

言葉は無口で、いつもにこにこ。
ただただまじめに仕事をする人でした。

法雅はそういう父親を本当に尊敬していました。

法雅は看護師さんに言いました。
「自分は住職をしています。これから父のためにお経をしていいですか?まわりに迷惑をかけないよう小さい声で唱えますので」

看護師さんから快く了解をいただき、お経を10分ほど唱えました。
そして、お世話になった医者にお礼を言って父親とともにお寺に帰りました。

数日後、父の葬儀を行いました。
母と伯母、法雅の子供たちはもちろん、道内の知り合いの住職や東北時代にお世話になった住職、思いもかけず多くの住職が集まり、盛大なお葬式となりました。

法雅は喪主をつとめ会葬してくださった住職がた、檀家の皆さんにお礼を言いました。

人はいろんな形で死を迎えます。

そのなかで法雅の父は普通のサラリーマンでしたが、今こうやって多くの住職や檀家さんに送ってもらい、尊厳のある死を迎えることができたことが息子としてやりきったと思えました。

お葬式が終わり、挨拶回りをすませたあと、今までの疲れがでたのでしょうか。
2ヶ月ほど脱力感におそわれました。

親を送ることが、精神的にも体力的にもどんなにエネルギーを使うのか初めて知りました。

(16話 下の子供の高校入学と学費のやりくりにつづく)

法雅の浮き沈みアイキャッチ画像
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