1話 「あって当たり前」ではなかった。の巻

話しは10年前から始めます。
本人と特定されないためにややアバウトに書きますが、今まで法雅が歩んできた浮き沈み人生(すべて実話)を書きます。

そのとき法雅が思ったこと、気を付けたことなどを書きますので、参考にしていただいたり、反面教師にしていただければと思います。

住職といっても普通の人間と同じように喜怒哀楽をくりかえしながら生きていることをわかっていただければ、このコーナーの目的は達成です。

法雅の10年間は、浮き沈みしながら全力で子供を育てあげた歴史です

その間、現在の妻との再婚、父親の死別、借金の返済問題などありますが、どんな浮き沈みがあっても人間・法雅が前向きに戦おうとする10年間です。

話しの大筋は3つにしぼれます。

  1. 2人の子供の教育と子育て終盤のはなし
  2. 教育ローンをはじめ借金1300万円のはなし
  3. 母と伯母の奇妙な生活と家族のはなし

それでは今回は第1話「あって当たり前ではなかった」をご覧くださいませ。

3月11日東日本大震災。
法雅は当時東北のお寺にいましたので、あの時の揺れの大きさ、津波警報のサイレンの音、いっせいに停電になったことなどを昨日のことのように覚えています。

14時46分、最初から大きな揺れがきました

東北ではちょくちょく大きな地震がありましたので、しばらくすればおさまるだろう、と思っていました。
ところが、その日の地震は、尻上がりにどんどん大きくなり、すぐに停電になりました。

その日は寒い日で雪もふっていました。
電気が使えないので、反射式のストーブを倉庫から出してきて火をつけました。
すると何人かの檀家さんがお寺に避難してきて、一緒に暖をとりました。

法雅のお寺は東北にいながらも、幸い大きな被害を受けることはありませんでした。
それでも数日間にわたる停電。
食料を買い出しするため長い行列にならびました。ガソリン不足にも悩みました。

そして痛感しました。

電力も食料もガソリンも、今までは「あって当たり前」と思っていました

しかし、そうではなく、色々な方々がかげで私たちの生活を支えてくださっているということを実感したのです。
たとえお金があっても、これらの方々の支えなしでは生活できないことを初めて体験しました。
本当に貴重な体験です。

東日本大震災で亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げます。

2話「大震災のあとの大身災」につづく⇒

法雅の浮き沈みアイキャッチ画像
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